成人サッカーチームの運営における弊害
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baba
2018年03月31日 15:08 visibility421
サッカーチームのみならず、バレーボールもテニスも、長らく運営していると組織としての歪みが出てくる。
人間の自我は、もっと!もっと!と要求を続け、理性が効かなくなっていくため、その予防線としてしっかりと社会的なルールや暗黙の合意点を作っておく必要がある。
けれども、年々同じチームに所属し、同じメンバーでサッカーをしていれば、お互いのことをよくわかってきて、その予防線という大事なラインを越えてしますことが多い。
声の大きい人の意見が通るとき、コミュニティーの中に、もう一つのコミュニティーができてしまったときなどは、注意が必要である。
きっと、運営者の意向に沿わない組織が出来上がって行くであろう。
大切なのはバランス。自信を持ってプレーすることは大切だが、それが過信を生んで日頃の言動などが横柄になっっていないか。されて当然、与えられて当然の考え方になっていないか。
もし、何か起こったときには、その当たり前の常識が、実は常識でなかったことに気づいて後悔するであろう。
なぜそうなってしまったか。振り返って、自分の過信、慢心が招いた結果であることを自省してほしい。
サッカーは色々なことをきっとあなたに教えてくれる。
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