
多種多様な野球観戦に於ける価値観
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ジョン
2013年12月14日 19:31 visibility259
うまくタイトルをつけることができませんでしたが、今まで野球を見てきた人ならば誰しもが考えた事がある話だと思います。
これは夕刊フジの矢野の記事を見て、ふと思った事です。
三振して帰ると息子さんから「バカヤロウ、なんで三振したんだよ」だなんて言われるそうで(これは本当なのでしょうか、誇張しているのでしょうか…笑)。
自分がチビだった頃は、結果見る度に一喜一憂していました。それこそ、「なんで打たねえんだ」などといった感情はいつも持っていました。なんで打たねえんだってよりかは、「なんで打たれるんだ」といった感情の方が大きかったですかね。
ビッグネームが入団するという報道を聞くと大喜びしましたし(ローズ、ペタジーニ、小久保あたりですか)、「ホームラン最強、バントはアウトを1つ相手に与えるだけの愚行(後者は今も論じる対象となっていますが)」だなんて思っていたくらいですから、今思えば異常ですよね。
その思考が一変するようになったキッカケは、2007年のドラ1である藤村の入団だったんですね。バットコントロールに優れ(当時描いた印象です)、内野に転がせば大抵は出塁できる(プロはそんなに甘くありませんでした。)姿に惹かれまして。2008年からは、ファームの結果を今のように思い入れを持って見るようになりました。
それまでは「ファーム」は「育成の場」というよりは、言葉は悪いですが「芽の出ない燻っている選手の溜まり場」だと思っていたので、改心といいますか、その時に初めて固定観念が覆されました。
個人的には、この見方ができるようになって満足しています。勝利至上主義ではない、勝利を求めるまでのプロセスを大事にするようになれたので。もしも昔のままの考えでいたならば、「片岡万歳、大竹万歳」だなんて言っているのでしょうか。怖いですね。
さて、ここからが本題です。いろんな見方があると断った上で、完全に自分の主観を話します。
野球観戦をする中で、自分が応援するチームの選手がチャンスで打てなかった時や、打たれた時にその選手を罵るというのは多く見られる光景であると思われます。そこで罵るという行為は、どうなのでしょう。例えば自分達が草野球をしたと仮定して、全て思い通りにプレーできるでしょうか。ましてやプロが思い通りの結果を出せないのは、当然の話です(両チームが最高のパフォーマンスをし、両者にとって良い結果になるということはあり得ないので)。
それに、完全ではない人間がプレーしている事ですから、必ずどこかで苦い思いをします。それを罵る事は果たして応援と言えるのでしょうか。
巨人ファンが「山口で打たれたら、仕方ない」とよく言いますが、それぞれの選手がその時その時で最善の選択・プレーをしようとしているんですから、この事は全選手に言えると渡井は思っています。その結果を我々は見ているんですから、それを罵ったところで仕方ないでしょう。責められなくても選手は既に自責の念に駆られているでしょうし。わざわざそこで傷口に塩を縫ったりしますかね…。
誰しもが自分と同じ見方をしないということはわかっています。ただ、理想主義も過ぎないか、という人間味に薄れた見方をされている人が多いという事が私の目にはつきます。同じ人間がやっている事ですし、もう少し温かい目で見守っていてもいいのではないでしょうか。
まとまりのない文章ですが、時間ない中で書きたかった事はこんなところです。乱筆失礼致しました。
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