山陰に野球が伝えられたのは、わが国にはじめて野球が紹介されてから20年を経た明治26年ごろのことである。当時、第三高等学校(京大の前身)の岸崎昌、志立悌之助、高橋慶太郎らが野球を覚え、夏の休暇に帰省して、母校の第一中学(松江北)の寄宿舎生に教えたことに始まったといわれている。 千鳥城二の丸練兵場で、棒切れと丸いゴム玉によって始められた野球も、明治31年になってようやく組織的なものに成長した。この年...