☆全国中等学校野球史(22)~愛知~

愛知県で最初に野球部が創部されたのは愛知一中で、明治26年のことであった。当時は対戦相手がなく、明治30年には滋賀県の彦根中(彦根東)に遠征して試合をしている。愛知一中は当時の校長がスポーツを推奨したこともあり、多くのコーチを招き、飛躍的に強くなっていった。
明治29年には愛知二中(岡崎)で野球部が創部され、明治32年には豊橋中(時習館)で創部された。この両校は明治32年に対抗試合を行った。以後、この3校が愛知中等野球をリードしていった。
明治35年、愛知一中の提唱で東海五県連合野球大会が開催された。同大会は年々盛んになり、一時は20校近い参加校があった。
大正4年の第1回全国大会の東海予選は東海五県連合野球大会が予選となり、愛知からは愛知一中と愛知四中が参加した。この2校はその後1度も欠かすことなく予選に参加し続けている。
その後、愛知県勢は東海予選を制し続け、全国を代表する強豪県になっていった。


初代表校
愛知四中(大正5年夏)(現・時習館)

初勝利校
愛知一中(大正6年夏)(現・旭丘)

最高成績
優勝

春夏通算成績
290勝191敗3分

最多勝利校
中京大中京 131勝





以上です。

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