☆全国中等学校野球史(34)~島根~

島根県に野球が伝わったのは、明治26年といわれている。この年の7月に京都の第三高等学校の学生であった高橋慶太郎氏ら3人が、弟のいた島根第一中(松江中→松江北)の生徒に野球を教えたといわれている。
また、明治30年には広島陸軍隊浜田駐在の将校が島根二中(浜田中→浜田)の生徒に野球を教えたという。
明治31年に松江中で正式に野球部が誕生し、松江中と松江師範の間で対抗戦が行われている。明治33年には鳥取中(鳥取西)と対戦した記録が残っている。
以後、明治34年に杵築中(大社)、明治34年に浜田中、明治37年に島根商(松江商)で次々と創部された。
当時の山陰地区は野球が盛んで、明治39年には第1回山陰大会が開催されている。大正2年の第5回山陰大会では、米子中と松江中との試合で応援団の紛争が起き、翌年の大会は開催されなかった。
大正4年の第1回全国中等学校優勝野球大会の山陰予選(鳥取・島根)には、松江中と杵築中の2校が参加し、杵築中が島根代表となった。杵築中は全国大会の座をかけ鳥取代表の鳥取中と対戦することになったが、2年前の山陰大会のこともあり、決勝戦は大阪の豊中球場で開催された。
杵築中は試合に敗れたが、鳥取中にエールを送ったことで両県のわだかまりは解消し、翌年からは山陰で決勝が行われるようになった。
尚、第1回全国大会予選に参加した松江中と杵築中は、その後1度も欠かすことなく予選に参加し続けている。


初代表校
杵築中(大正6夏)(現・大社)

初勝利校
杵築中(大正6夏)(現・大社)

最高成績
ベスト4

春夏通算成績
40勝88敗

最多勝利校
浜田 9勝





以上です。

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