☆全国中等学校野球史(28)~兵庫~

兵庫県では明治20年頃に兵庫尋常師範(御影師範)で野球が行われていた。その後、神戸商、関西学院中、神戸一中(神戸)、神戸二中(兵庫)などに広がっていった。
兵庫県は、大正4年の第1回全国中等学校優勝野球大会に全国で唯一単独で代表校を送り出した。その時の全国大会は大阪の豊中球場で行われたので、地元枠ということではなく、野球が盛んで参加校が多かったので単独枠が認められたといえるでしょう。
第1回大会予選には、神戸一中、神戸二中、伊丹中、関西学院中、神戸商、姫路師範、御影師範の7校が参加した。予選を制したのは神戸二中であった。尚、神戸一中、神戸二中、関西学院中はその後1度も欠かすことなく予選に参加し続けている。
そして大正13年、収容人員問題を解決するため阪神電鉄が現在の兵庫県西宮市に東洋一の甲子園球場を建設し、以後、甲子園は中等学校野球・高校野球のメッカとなった。


初代表校
神戸二中(大正4年夏)(現・兵庫)

初勝利校
関西学院中(大正6年夏)(現・関西学院)

最高成績
優勝

春夏通算成績
296勝230敗3分

最多勝利校
報徳学園 55勝





以上です。

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