☆2022夏 ~陸路での白河の関越えまであとひとつ~

 

 

 

~実況~

「1915年8月23日、第1回夏の全国大会決勝で秋田中学の戦いぶりを観た先人たちは、優勝旗が陸路で白河の関を越えることが、これほどまでに長く困難なこととは誰一人として思わなかったことでしょう。
秋田中学の準優勝以降、夏は三沢、磐城、仙台育英2度、東北、八戸学院光星2度、金足農業が深紅の優勝旗の白河関越えに挑みましたが、惜しくも涙をのみました。春は仙台育英、花巻東、八戸学院光星が紫紺の優勝旗の白河関越えに挑みましたが、あと一歩およびませんでした。
野球伝来から150年、104回目を迎えたこの夏、ついに、ついに、優勝旗が陸路で白河の関を越え、みちのくに渡りました。待ちわびた、東北勢初の悲願達成です!

あの震災から11年、この優勝旗は東北復興のシンボルとなり、東北勢の一番長い夏として後世まで語り継がれることでしょう。」

 

 

白河の関跡は、福島県南部の白河市に所在し、奥州三古関のひとつに数えられ、奈良時代から平安時代頃に機能していた国境の関で、当時は人や物資の往来を取りしまる機能を果たしていたと考えられている。やがて律令制の衰退とともにその機能を失ってからは、都の文化人たちの憧れの地となり、和歌の名所(歌枕)として知られるようになった。この地を訪れた代表的な歌人・俳人は、能因や西行、松尾芭蕉など、みな時代を代表する文化人たちである。また、関跡には、源義経にまつわる伝説が残され、樹齢約800年の従二位の杉など、数々の巨木もあり、歴史の深さを感じさせる。

高校野球の甲子園大会において、東北地方の高校が優勝して優勝旗を持ち帰ることを『白河の関越え』と表現していたが、2004年に南北海道代表の駒大苫小牧が優勝した際、『津軽海峡越え』と表現されたことから、我々マスコミ業界では、東北地方の高校が優勝することを『陸路での白河の関越え』と表現するようになった。

 

 

この夏、果たして陸路での白河の関越えの悲願が達成されるのだろか?

 

 

 

 

 

 

以上です。

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