そして球場からいなくなった君との思い出① 2011年育成D1位森和樹



















































































































































































森君を初めてみたのは2012年5月26日のジャイアンツ球場、対JR東日本戦でした。
この日、2011年ドラフト組同期の松本竜也や今村信貴とともに森君はデビューしたのです。
初めて見た森君は実に魅力的で豪快な投手でした。
上から投げ下ろす角度のあるストレートは140kmながら威力十分で打者に対してとても威圧感があり、迫力満点です。
またもうひとつの武器である90km台の大きなスローカーブも打者のタイミングが面白いように外れ、切れ味バツグンで素晴らしい。
そして何より、その愛くるしい笑顔がとても魅力的な少年でした。
これはとても楽しみな投手が入団してきてくれたなと本当に嬉しくなりました。
試合終了後、この日も来ていた舎人親方と「もしかしたら3人で一番早く出てくるのは森かもしれないね。」なんてワクワクしながら話したのが昨日の事のように思い出されます。




森君はその後もフューチャーズやプロ・アマ戦を中心に登板し、翌年の成長に大きく期待を抱かせたまま順調に1年目のシーズンを終えました。
































































































































































翌年になると、キャンプから徳光和夫さんに褒められるなどして森君の注目度は俄然アップしました。
チームからもかなり期待されていて、春季教育リーグから積極的に登板していました。
そういえばこの頃球場に行くと、先発が大体雨宮敬君か森君でした。
”権藤、権藤、雨、権藤”のような”森、森、雨宮、森、雨宮”というヘビーローテーションに少しだけウンザリしました、森君ごめんね(苦笑)
キャンプから順調に過ごしてきた2年目の森君でしたが、3月17日、対ヤクルト戦での公式戦登板を機に暗転していきます。
森君なんとこの日、4回3分の2で10四死球出してしまったのです。
これ程悪い森君は初めて見ました。今まで森君を見ていてコントロールの心配をそれ程した事が無かったので、あまりの惨状に驚き口をアングリさせる他ありませんでした。
でもまだこの時は”こういう時もあるよな”くらいにさほど心配していませんでした。


次に森君を見たのは3月29日の対山梨学院大学戦でした。
この日森君は5回1失点と好投しました。




しかし僕は少し嫌な予感がしました。
なぜなら入団以来上から投げ下ろしていた腕の位置が少し下がっていたからです。





























































































































(左2012/05/26、右2013/03/29)




これはおそらくコントロールを改善しようと思っての事だったと思いますが、腕を下げた事でボールの角度が無くなり、打者に対して威圧感が欠けたように感じました。
これはちょっとマズい方向に行き始めたかなと。
心配が杞憂であってくれればいいなと思いました。










































































































次に森君を見たのは6月4日、プロ・独立リーグ交流戦の対新潟アルビレックス戦でした。
4回表、リリーフで出てきた森君の姿を見て愕然としました。
なんと、今度はさらに腕を下げてサイドスロー気味になってしまっていたのです。






























































































心配、悪い予感は完全に的中してしまいました。
球速こそ138km出ていたものの、打者の反応を見てもさほど怖さを感じていない様子でした。
おまけに課題のコントロールもまったく改善されておらず、ストライクを取るのにも苦労する有り様で二度の押し出し含む5失点でした。
あまりの変わり果てた姿に舎人親方と2人意気消沈してしまいました・・・。

巨人は森君の育成において完全にミスリードしてしまいました。
まず育成において若者が最初にやらなければいけないのは長所を目一杯伸ばす事、スケールアップする事なのです。
短所の補完はスケールアップしてから模索していけばいいのです。
入団時、巨人が森君に明確な未来像を提示してあげられてたらこんな方向には行かなかったんじないかと今更ながら悔やんでも悔やみきれません。

そしてここから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・森君の迷走が始まるのです・・・・・・。
8月には再度オーバースローに戻すのですが、
















































































年が明けた2014年の夏場には再びサイドスローになっていました。
















































































只、この7月のサイドスローはなかなか良い感じでした。
6月に尾花コーチと練習している風景を撮影出来たのですが、なかなか成果が出てきてるなと。
特にカーブがね、今まで見た事ないような面白い変化をしてました。
デビュー時の森君は魅力的だけど、これはこれで突き詰めていったら道が開けるかもしれないなと感じました。




















































































ところがです。
9月10日に登板した森君はまたオーバースローに戻していたのです。















































































やはり本人的にはしっくり来なかったのかもしれませんね。
今思えば最後かもしれないから”上から思い切って投げたい”との森君の思いがあったかもしれません。
今年必死に取り組んできたサイドスローを捨て、9月のこの段階でオーバーに戻す・・・森君は入団三年目の育成選手・・・・・。
この段階でかなり厳しいオフが森君にくるであろう事は予測していました。
そしてやはり予測は当たってしまい、シーズンが終わって三日後の10月1日、森君は球団から戦力外通告を受けてしまったのです・・・・・・・・。
































































 





森君が戦力外になってからの僕はこれからの森君がどうするのか、注意深くネットなどで情報を集めてきました。
しかしながら一向に森君に関しての情報は集まらず、音信不通のままでした。
”仕方がない、トライアウトは参加するだろうから応援しに行こう、それしかない”そう思っていました。
そしてそんな思いを抱えたまま第1回目のトライアウト参加者が発表されました。
しかしながらそこには残念ながら森君の名前は無かったのです・・・。
”野球やめてしまうのか・・・・・・”なんとも言いようがない虚脱感が僕を襲いました・・・。
”もうあの笑顔が見れないんだなぁ”と思うととても寂しい気持ちになり涙が出てしまいました。






































































それからも森君の情報が無いか毎日調べました。
巨人の2軍選手の事は、殆ど客のいない球場で真夏のうだるような暑さの中苦しんで耐えながら撮影し、そして家に帰ってからも編集しながら何度も何度も繰り返し見ますからね。
そうなるともう自分の一部のような感覚になってくるので簡単には忘れられないのです。
入団時の笑顔多い状態から次第に表情が暗くなってくる過程をカメラで見てるからいつまでも気になって仕方がないのです。
しかし調べても調べても一向に森君の情報は出てきませんでした。
正直、最近は少し諦めかけていました。
もう駄目かなと思っていました。

しかしそんな時です。
舎人親方から1通の写真付きのメールが送られてきました。
送られてきたメールにはこう書いてありました。

「こんにちは、今日の日刊スポーツにこんな記事が載っていました。」

添付された写真を開いてみると、そこには待ち焦がれた森君の情報、そしてマシソンとの感動エピソードが載っていたのでした。

































































1段目の”死にたいと思った事もあった”の部分を読んだ時は胸が張り裂けそうになりました。
やはりフォームで苦しんだこの2年間はとても苦しかったんでしょう。
でもその後を読み続けて行くと、マシソンが支えとなり、前向きな気持ちで新たな道へと踏み出す森君の姿が描かれていました。

もうね・・・・・・・・・・・・・この記事泣けすぎて駄目です・・・・・。
何回読んでも泣けてしまいます・・・・・。
おそらく森君を殆ど知らない人が読んでも泣けるでしょうから、知ってる僕等からしたら尚の事泣けて仕方ないのです。
もうマシソンには感謝の言葉しか出てきませんよ。
ありがとうマシソン!本当にありがとう!!!













































 





とにかく森君の今後がわかってホッとしました。
素敵な記事を書いてくれた日刊スポーツの栗田記者グットジョブです!

最後になりますが、2軍ウォッチャーの僕からはこの動画を餞別として送りたいと思います。
今後の人生で辛い事があった時は、これを見てプロ野球選手として頑張った日々を思い出し乗り越えて行って欲しいなと思います。
いつまでもその素敵な笑顔を忘れずに。






そして森君またいつか・・・・・



















































野球場で逢おう。









































chat コメント 

コメントをもっと見る

通報するとLaBOLA事務局に報告されます。
全ての通報に対応できるとは限りませんので、予めご了承ください。

  • 事務局に通報しました。