興行としての野球では、審判は悪役で、選手はヒーロー?

去年、WBCにおいて「世紀の誤審」という出来事があった。
一部のネット界では日本における某球団びいきの判定をしているといわれていた「ジャンパイヤ」のアメリカバージョン、「アメパイヤ」と蔑称されていたことがあった。

その後のボビーバレンタインの言葉にも
「彼は自分が試合を面白くするためによくボークをとっていた。彼はボークオブデービッドソンだ」なんて言っていたことにふと気がついた。
これってプロレス的ではないかなと。

そう。アメリカのプロレスって悪役がきっちりとしていて、審判も悪役びいきの判定を行っていて、突然審判がいなくなったりしてグダグダのまま無効試合になるなんていう感じのあの存在かなってという・・・。

実際聞くと悪役のファンも存在するし、悪役と手を組んでいる審判も味があってまたこのレフェリーのファンもいるみたいな。
 
一昔前まではビデオ判定があったほうがいいと思っていた私だが、もうこの際なくてもいいと思っている。それはある種プロレス的興行性もかねさせればいいのではと思うからだ。
昔の西鉄VSロッテのような敵チームからの煽りとか(まぁこれは演出だったわけだけど)、そういうのが当たり前だったし、観客動員が見込めないカードでこういった演出で盛り上がるというのも面白いかもしれません。
 
でも、私が思うにこれはすでにあるような気がするんです。

広島カープです。

審判と戦って退場になるものの、選手には気を使い、ベース投げをしたり、ベース自体を隠したり、自分だけが責任をこうむっていくブラウン監督にみな、ヒーローの姿を照らし合わせられるのではないかと。

近年の野球は「ヒーロー」が出てこない、個性が埋もれているなんていう批判もあったけど、これがプロ野球における新しい形のヒーローではないかと。

ブラウン監督が退場になった直後、広島が執念の勝利をもぎ取る!なんつーか、ヒーローモノとしてテレビ番組にできそうじゃありませんか?

P(パーマかけてる)T(トンでもない)A(あつまり)の人たちが「暴力はいじめを連想させるのでたとえ悪役でも殴ったり蹴ったりしてはいけない。」なんていうクレームを出してそういった演出ができない今、
新たなヒーローの出現はプロ野球の違った見方ができるのではないでしょうか。

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