スポーツ考 2

軍事から派生したとはいえ、スポーツは軍事とは大きく異なる進化を遂げた。


現代では情操を豊かにするアイテムとして貢献している。


その大きな理由は、目標が殺し合いに勝つことから競争することに、その本質を大きく変えたからだ。


極端に言えば、スポーツは勝たなくても良い。勝敗は競った結果でしかない。


 


そう、スポーツの本質とは勝つことではない。競うことそのもののことなのだ。


その競う中で、時には相手のやり方を参考にしたり、相手の努力を理解して、相手に対する賞賛や敬意が生まれる。情操を豊かにする。


軍事とは大きく異なるところだ。


軍事は如何にして勝つか。そこに相手に対する思いなどない。生き残った現実があるのみだ。


では競ってどうするか。勝つことを追求するのか? それでは元に戻ってしまう。


 


実は「どうするか」と言うところが最重要なのである。それがスポーツにおける目的なのである。


競うことは実はスポーツの目的ではない。競うことはスポーツにおいては手段でしかないのだ。つまり道具でしかない。


重要なのは、その競うことを使って何を体現するかと言うことなのだ。


(目標ー当面の結果の出る区切り。試合など)


(目的ー方向性、コンセプト。道)


そこにその人の信義、よって立つもの、分かりやすく言えば意志が現れてくる。


 


だからそれが無いと、容易に欲に流される。果てはどんな手を使ってでも勝とうとする者が現れる。


勝った負けたで一喜一憂するのは、スポーツの一面しか感じていない、反感を承知で言うと、稚拙な態度と思える。


 


蟻一匹は、どんなにがんばっても象には勝てない。実力差、勝敗とは情け容赦がない。


が、今日より明日、進歩した量なら才能いかんに関わらず競うことができる。


そこがスポーツのすばらしさだと思う。そしてその経験は場所を変えれば、違う形で生かすことができる。(野球においてだめでも、ビジネスにおいては成功するかもしれない)


 


二〇〇対〇で負けても胸を張って笑える。自分が進歩することを目的にし、その目的に進んだと自負できるなら。


が、それには周りの評価に引きずられない確固とした意志が必要なのだ。


 


だから理念は、スポーツにおいて最重要なのである。それがないものは、スポーツとさえ言えない。


 


 


ここで少し余談に入る。


 


アマチュア草スポーツ界にありがちな問題に、選手起用がある。


ほとんどのトラブルはそこに尽きると言える。特に勝つことにこだわるきらいのあるチームに多いように思う。


チームの勝利ために裏方に廻れというなら、その言いだしっぺがまず率先して裏方に廻るべきだと自分は思う。


最低限監督・代表者は選手として試合に出てはいけない。他選手への公平性が失われるからだ。自分は出場しておいて、他の選手は控えに回すなんてのは、なにをかいわんやだ。


監督は試合に出場しないと言う、どの選手に対しても等距離の位置にいるからこそ、その采配は尊重されるし、疑問を持っても選手は納得する。


勝つために何ができるかを問う前に、まず自分が勝つために裏方に廻ることもやむなしと言う態度を見せ付ける必要がある。


だから、他の選手も監督がやっているのだから自分もそうするべきと納得する。


犠牲を強いるものはまず自分が犠牲になってみせる。その覚悟が必要だろう。


プレーイングマネージャーの難しさはこのへんに起因するものなのだろうと強く思う。


 


なので自分は実力のいかんに関わらず、均等な出場機会を与えるチームが良いと思うし、長続きすると思う。と同時に監督は大変だと敬意を持つのである。


 


忘備録 A-2

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