支え続けるから



久々に歌いましたね、「支え続けるから〜」


 


行け行け われらが FC岐阜
We're Gifu We love Gifu Let's go FC岐阜
行け行け われらが FC岐阜
支え続けるから オイ!オイ!オイオイオイオイ!


 


どれ程悲痛な思いで去年歌ったことか思い出すと


愛媛戦後の監督コメントも、頷けなくはないのだけれど


 



「昨年J2に昇格して、3回しかホームで勝てなかった。


今年はこの試合数で単純に比較していけば、かなりの数字は出している。


確かに終盤の成績は選手のダメージもある。


そこを何とかブレイクスルーすることが我々の目標。


ただ、それだけでなく、今日は愛媛を相手にどれだけチャンスを作ったか。


愛媛に対しての選手のチャレンジ、突破する気持ちを見てほしい。


勝点3は欲しいのは当たり前。みんなに歯がゆい思いさせているが、


いつかはそこを突破していく姿を見せたいです」


 




今、それを素直に受け止められないのは


「”いつか”は来年に繋がるのか」という不安ゆえです。


 


長い目で見てていいのなら、勝ち点1が取れてまあ良かった、


ゴールに湧いて良かった良かったで明日を迎えられるかもしれないのだけれど


「いつか」は残り4試合の向こう、3月以降にも繋がるという安心が、ないのだもの。


『俺たちが共にいる』と誇り胸に毎試合足繁く通ってる連中は


「せっかく足を運んでくれた招待客の皆さんは、俺たちの選手に失望してないか」と


そんな人の心配まで毎回毎回してるわけですよ。


キャンペーンのチラシ1枚、「この印刷代を思うと…」とドギマギして大事に扱う(笑)


いや、笑い事じゃなく。


そして「選手達に、試合以上の心配をさせてピッチにたたせてるなんて悔しい!」と


握りこぶしを震わせているわけなのですよ。


 


「支え続けるから」を歌うと、批判することよりも、喝を入れることよりも、支え続けるから、と声を送ることが


どれだけエネルギーを振り絞らなくてはできないことだろうっていつも思うのです。


 常に選手は、「岐阜の選手は、いい!支え続けたい」と思わせるような パフォーマンスを、


ピッチの中でも外でも見せてくれて 自然と心がそちらに向いているわけです。


「勝ち点3が欲しいのは当たり前」


 本当に、当たり前。


 だけど、勝ち点1と勝ち点3の、2ポイントの差が


「これに魅せられた人達の力を引き寄せられるかも」という 希望を繋ぐ原動力に、なるんだってこと。


しかも、それを選手達自身が分かっているのが(ブログなどで)伝わってくるからこそ 更に、勝ち点3がすり抜けたのが悔しい。悔しくてならない。


 


支え続けたいからこそ、悔しい。歯がゆい。


 


で、


「秋田へ行きたくなっちゃうね。」(相方)


「あきたにいきたいなー」(長男)


「ぎっふー」(次男)


日曜日に幼稚園の行事があって絶対に朝までに戻ってこなくてはならないので


毎晩家族会議です。


遠いなあ。


だけど「こんな馬鹿みたいに遠いところまで頑張っちゃうって事に意義がある…」 ってのも面白いよねえ


なんて意見も出ていて、


サッカーを好きでいるのって


マゾヒスティックなことだと痛感しております…。はい。


 


 

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