
ひとりひとりの10.19
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ren10
2009年02月07日 21:54 visibility103
当日、中学1年でした
その年に友達に誘われファンクラブに入り
藤井寺球場へ何度も観戦にいきました。
当時はライオンズ黄金時代です
強すぎるライオンズに対して
パ・リーグを面白くするため
各チームはライオンズに主力投手をぶつけよう!と
その年に就任した仰木監督が唱えていました
新人王の阿波野、首位打者の新井
ストッパーに定着した吉井理人
西武キラーといわれ頭角をあらわしつつあった山崎
元々実績のあった左腕小野和義
途中加入で打ちまくったブライアント
各選手が機能し10月19日まで優勝がきまりませんでした
日本シリーズの日程が迫っていたので
ダブルヘッダーを含む14連戦もあったと思います
終盤には当時のサード金村は骨折で離脱しており
ベテランの羽田や吹石(吹石一恵のお父さんです)も
満身創痍で出場していました
その中での川崎球場。
中学生の私は
応援バットを持ってテレビにかじりついていました
最後の併殺打の後、
本当に放心状態になりました。
その後の最後の守備に加藤哲郎や木下がなげましたが覚えていません
素晴らしいシーズンだったと思います
翌年の優勝も3チームが競り合う厳しいシーズンでした
大阪ドームに移ってリーグ優勝したときは
いてまえ打線で勝ち進み
優勝決定は代打逆転サヨナラ満塁ホームランというありえない顛末でした
こんなドラマチックな経験をした
近鉄バファローズは素晴らしいチームだったと思います
今は近鉄バファローズも藤井寺球場もなくなり
伝説になりつつありますね
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- 事務局に通報しました。
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