我が家の野球小僧へ(長文です)

  • acco
    2008年01月15日 08:17 visibility72

野球小僧なら誰もが、プロ野球選手を目指したのではないでしょうか。

多分に漏れず、うちの相方もその一人。
彼から聞いた彼の野球史と思いを書いてみる。

幼稚園年長さん、少年野球チームに入った兄を見て自分も入りたいと言ったが、母は他の親同士のトラブルに巻き込まれ、兄は野球をすぐに辞め、従順な彼に自分が音楽が好きだという理由でエレクトーンを習わせた。

小学校一年生、やはり野球がやりたくて親にお願いしても、エレクトーンがあるからと彼の願いを聞き入れない。(今でも父母は野球に全く興味がない)

小学校3年生、エレクトーンとの両立をするという約束で、野球チームに入団。しかし、希望のチームではなく、親の手がかからない近所の弱小チームに。
不満はあったが、野球がやれる喜びを感じた。

小学4年になり、やっとエレクトーンを辞め野球一筋に。
社会人野球をやっていた祖父が熱心に指導してくれ、上達していく。
高学年と一緒に試合に出るようになると、一向に勝てないチームに苛立ちを覚える。
理想のフォームは桑田真澄、今でも崇拝している。

指導者は野球を知らない近所の父兄。試合開始前に100球以上の投げ込みをさせられる。
今の指導者ではありえない方法。子供の体を全く考えていない。

6年生、エースで4番。
「ピッチャーは自分で試合を組み立てられるから好き」という生意気なガキ。
最後の大会、好投しても打線が繋がらない。
サヨナラエラーで少年野球が終わる。
初めて人前で泣いた。

夢は中日ドラゴンズの選手になること。
お小遣いで中日の選手グッズを買い集め、甲子園に連れて行ってもらったのが一番の思い出。
ファンクラブ(ジュニアマリーンズ)に入り、マリンスタジアムに通う。

中学になっても、弱小チーム。
エースだったが、友人とふざけてプロレスをしている時に肩をひねり、投げられなくなる。
治療を続けるが、小さい頃からの投げ込みすぎもあり、治らない原因が分からないまま完治せず。

高校になり、野球部に入るも、投げられない。
野球が面白くないと感じ始める。
守備とバッティングだけでレギュラーに。
でも、納得がいかず退部。
野球から離れたいい加減な高校生活を送る。(酒飲んだりタバコ吸ったり授業ふけて海でボーっと)
それでも、「ドラフトでいきなりオレが!」なんて奇跡を信じてみたり、野球がキライでダイスキな複雑な青春。

大学はキックボクシング部。
練習で大腿筋断裂、しかし勢いで新人戦に参戦し、試合中ドクターストップ。当たり前だ。
その後、タイにムエタイをしに行ったり、野球を忘れた生活を送る。

社会人。なんにもない生活。
あえて野球を見ない生活。
なにやってたか、記憶にないそうです。

2004年くらいから、再び、マリンスタジアムに通い始める。

2005年、マリーンズ優勝。
生きている間に優勝するなんて!と感激。
だんだんと野球が好きだと素直に感じることができるようになった。

2006年、野球好きの彼女ができた。(私ね!グフフ)
ずっと一緒に野球観て楽しんでいけると感じ、野球がますます好きになる。

2007年、年間40試合観戦。
これまでないくらい、目一杯楽しんだ。
地元で草野球を始める。
投げ込みもやって、だんだんといい感じに。

2008年、今年も楽しく仲良く野球観戦予定。
草野球も月一で試合ができそう。

これからもずっとすっと、野球を楽しみ、人生を楽しみ、仲良くやっていこう。

ずっと、あなたの専用マネージャーでいますから。


追記
エレクトーン、6年間も習ったのに、マジで何一つ覚えていないらしい。
親は子供が興味ないことを無理強いしちゃいけませんね。

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