空飛ぶ大阪球場

  • ミオヂ
    2006年07月29日 01:44 visibility11502


時は2002年9月のある日の朝。場所は大阪、南海なんば駅のプラットホーム。

外に見えるは解体中の大阪球場。

今でも思っております。何故,あの風景をカメラに収めなかったのかと。

信じようが信じまいが、このお話、すべて実話である。

 

いきなり話はさかのぼる。

 

1986年,岡田有希子が自殺し,チェルノブイリがメルトダウンし,ダウンタウンはまだ関西ローカルの芸人だった年。桑田と清原がプロ選手になった年。

大阪で大学生になった広島者の私は、新聞屋に貰ったタダ券で大阪球場にて、初めてパリーグの試合を見た。

 

カープファンなんで、 あの「江夏の21球」の舞台!と意気込んだものの入った感想は

「市民球場もボロいがここはもっとボロい!」と思いつつ、当時新発売だったダルマビンに入ったコーラを飲んだ。ペットボトルなんて無かった時代。

秋口のデーゲーム。お客はほんっとに数えられるくらいしかおらず、「やっぱパリーグだぁ」と納得。近くの場外馬券売り場の方が人が多かった。相手は阪急だったような気がする。

覚えてるのは 少ない観客の中、それこそ必死の形相の応援団のオッチャンたち。カネや太鼓を叩きまくり,選手をヤジりまくる。またこれが、客が少ないからよく聞こえるんだ。

 

当時の私は、大阪文化にカルチャーショック状態。初めて見る巨大な街、強烈な大阪弁,喫茶店でのレーコーとは何? 何故二人称代名詞が「自分」なんだ?何で休日のTVは演芸番組ばっか?

一番不思議だったのは、どうして、みんな物事に「オチ」をつけたがる?それが無いと何故納得しない?という事。

私がオチの無い話をすると、「分からんやっちゃな」てな視線が向けられる日々が続いた・・・一年で慣れて、会話にもどうにかオチがつけられるようになったけどね。

そんな中見た試合だった。

 

で、その後私が大阪球場に入り浸ったかと言うと、それは無く在学4年で10試合くらい観た程度。しかもあんまり覚えてない。

甲子園に行った方がずっと多かった。南海ホークス最後の試合も行ってないという薄情さ。

それよりも球場内に何故かあった古本屋街のほうによく行っていたんである。

日々の食事は学食と餃子の王将が頼りという、ビンボ大学生の本好きの私には、安いしやたら品揃えのいいこの古本街は 非常にありがたかったんである。

だもんだから、南海がダイエーに売られ大阪球場の主がいなくなった時、球場そのものより「あの古本屋は大丈夫か?」という心配の方が先立ったのを覚えている。

そしてその後、大阪球場は住宅展示場になったり、駐車場になったり「つぶして関空直行のヘリポートが出来るらしい」なんてバブリーな噂が出たり,ミステリー小説でトリックに使われたりと、数奇な運命をたどり,解体が決定する。古本屋はすべて他の場所に移転して、私も安心した。

 

と、ここで、話は冒頭に戻る。

時は2002年9月のある日の朝。

関空に行く為、南海電車の鉄人28号電車、ラピードを待って、私は南海なんば駅のホームにいた。

外に見えるは解体中の大阪球場。すでに内外野の座席は撤去され、ただの坂道。場内の看板もすべて撤去された後。グランド部分は重機がたくさん動いている。

あまり思い入れのある球場ではなかったが、この風景は野球ファンとしてはなんともさみしい風景。

多分,これでお別れ。球場の最期なんて滅多に観れるもんじゃない、せめて、よーく観ておこう。端から端まで観ておこう、とバックネット裏からゆっくりと視点をファースト、ライト、センターへと移動させた時、

「え?なにアレ!?」

一瞬では理解できない風景が飛び込んできた。

 

センターバックスクリーンあたりにある、スコアボードが宙に浮いているんである。

 

いや、これは比喩で言ってるんではなく、ホントに球場とスコアボードをつなぐ台座部分が無いのにスコアボードが今まであった場所に存在していたんである。

まさかこれは、鶴岡の逆鱗に触れたノムラの呪いか?それとも「あぶさん」の看板を外された 水島先生の呪いか?あな恐ろしや、悪霊退散、まだ朝なんだからなんか出るには早すぎじゃぁ!

朝のなんば駅でうろたえる私。アブナい人状態である。

 

気を確かに持ってよーくスコアボードを観察。しばらくして分かった。

この球場のスコアボードは、球場にくっついていたのではなく、球場すぐ脇のビルの壁面に張りつけて設置されていたのである。

なので、解体工事で一見ボードの台座に見える高島屋の広告看板が取り外されたため、残ったスコアボードが一見、宙に浮いたように見えたんである。

あーびびった・・・

その風景を見ながら、ついここで初めて見た試合と大阪文化のショックの日々をを回想していて気がついた。

「あ・・・最後の最後にこんなオチをつけてサヨナラしよった・・・・」

さすが大阪の球場である。死ぬ寸前まで、物事にオチをつけないと死ぬに死ねなかったらしい。

大阪では球場ですら物事にオチをつけないと納得しないのだ!(ウソ)

で、この大阪球場の最後の壮大なるオチなのだが、あまりにあっけにとられたので、カメラで記録するのを忘れてしまった。

ほんっとうに、今も後悔しております。大阪球場最期のオチを伝道する役目を与えられたと言うのに(妄想)。

 

そして今、その地には、なんばパークスが建っている。その中には南海ホークスメモリアルギャラリーがある。しかしそこでは宙に浮かんだスコアボードの事は 、野村克也の記録同様、語られる事は無い。

語る必要があるかどうかはこの際考えないことにして・・・。




分かりにくいので在りし日の大阪球場スコアボードの写真を。

下の白い部分が高島屋の看板広告だったとこ。

ここが無かったので、宙に浮いてるように見えた。

スコアボードがひっついていたのが、右横に少しみえるビル。 

ちなみに、左右のサンスターと上のSEIKOの時計は撤去されてました。 




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