何故ゆえに西宮球場
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ミオヂ
2006年08月08日 00:36 visibility364
今思うと、「ああ、入っときゃよかった」なんである。
でも、私は入らなかったんである。ちょっと悔やんでおります。
話は、また20年前にさかのぼる。1986年。
三原山が噴火し、ハレー彗星がやってきて、カープがライオンズに日シリで8戦目に負け、バク転した秋山がほんっとに憎らしかった年。
大阪で大学生をはじめた私は、何故か吹奏楽部に入った。
ちなみに私は楽譜が読めない,楽器の類いはまったく触った事がないのに、だ。
しかしまぁ、初心者の方が多いかもなクラブだったので、どうにかこうにかパーカッション をつとめていた。
そんなある日、大学のアメフト部の応援に吹奏楽部が担ぎだされた。
場所は、西宮球技場。土のサッカー,ラグビー、アメフト用の球技場である。
ルールは分からんが、とにかく目の前でプロテクターがガチガチぶつかるのは、なかなか面白いなぁー、と思いつつ, 応援は終了。確かウチの大学が勝ったはず。
で、楽器をトラックに積み込んだら「1回生はここで解散。帰ってヨシ」との事なので、そのまま西宮北口駅へ向かう。
すぐ近くに西宮球場が 見えた。
「おお、ここがあの阪急の!」
さすがだなーと思った。同じ大きさの窓が等間隔に配列された、ちとレトロ風味が入っていながら、なんとも上品なデザイン、赤っぽいオレンジの外観。壁面に巨大なブレーブスマーク。
「うーん!さすがは関西最大の鉄道会社の作った球場!関西一のハイソ企業の球場!」
私はこの頃,宝塚歌劇や東宝映画が阪急グループの傘下にある、と言う事を知ったばかりだった。
だもんで「じゃぁゴジラも、キングギドラも阪急の傘下で働いていたんか!」
とマヌケに驚き、 「阪急」と聞くだけでやたら感心していた時期だったんである。ならば阪急の球場観ておかなくては!と、球場の周りを見学しはじめた。
「立派やなー、文化的やなー、 でもここでカープ日本一になっとる、ブーマー抑えたんだよなー、パ,パスタイム、くらさーいってブーマーのCMあったよなー」
と、ブツブツいいながらきょろきょろしていると、今日の試合の告知の看板があった。
どこのチームとの試合、と言う部分はまったく覚えていない。しかし、20年を経た今でも忘れられないお知らせがそこには書いてあった。
「アニマルそっくりさんコンテスト 本日開催!!」
説明は不要だろうが,その年,抑えとして阪急に入団したあのアニマルである。
ヒゲボウボウのホントにアニマルな風貌で、打者を打ち取ると雄叫びをあげ、ポーズをとりまくり、見事抑えると、握手に来た藤田捕手をどつきまくった あのアニマルである。
のちに「たけし城」にも出ていたあのアニマルである。
嫁さんが日本人のあのアニマルである。
・・・なぜか私はこの時、球場に入らなかった。何故なのかは、まったく思い出せない。 何故?
ああ、入っときゃよかった・・・。
そして、何故か私は在学4年で一度もこの西宮球場に入る事はなかった。何故?ああっ理由が思い出せん!
ああ、入っときゃよかった・・・。
そんなこんなで時は過ぎ,大学4回生の時、阪急ブレーブスはオリックスに売られ、球団代表は泣きながら会見していた。南海の代表はニコニコしながらホークスをダイエーに売り飛ばしたと対照的に。
その後、西宮球場は競輪場になったりしながらも、2003年に消滅。ところで、あの時の西宮球技場はどうなったのかと思ったら、やはり球場同様、今は無い事が判明。
生者必滅、会者定離、なんまんだぶ、なんまんだぶ。
・・・ところで「アニマルそっくりさんコンテスト」ってどんなイベントだったんだ?
■ついでのお話 ■
当時、関西のTVでも滅多にやってなかった阪急戦の中継を観ていて気づいたのだが、西宮での試合の応援のトランペットの音が他の球団の応援に比べて、素人でも分かるくらいキレイでうまかったんである。
吹奏楽部の先輩に「阪急の応援のトランペットってうまいですねー」と聞いたら
「そらそうや、あのな、阪急ってな、吹奏楽にメチャ力入れてんねんで。せやから応援の時は自分とこの吹奏楽団のトランぺッター呼んでやらせてんの。うまくてあたりまえ!」
と、実に詳しい説明を受けものすごく納得したのを今もよく覚えている。
- 事務局に通報しました。
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