惜別!去り行く虎戦士を振り返る�

昨年は本当に惜しい選手が引退した。
中村豊選手だ。あのナゴヤドームのミラクルアーチは今も鮮明に思い出されますね。
そして、育成選手ながら、トライアウトでロッテでの出直しを決めた田村領平投手。
解雇された悔しさを跳ね返して、復活して欲しい。
シリーズ「去り行く虎戦士を振り返る」6回目はこの両選手です
この2人は、以前にも一度日記にも書きましたが、改めて振り返ってみたいと思います。








中村豊外野手(引退)


2007年をもって現役を引退。
今シーズンから二軍外野守備コーチに就任し、若手を育成する立場となる。
上宮高校から明治大学を経て、1995年のドラフトで日本ハムファイターズに1位指名されプロ野球の世界へ。
大学時代は、東京六大学リーグで首位打者・本塁打王・打点王を各1回獲得し、さらに六大学ベストナインにも5回も選出され当時の歴代5位の通算116安打、通算.355の高打率を残し、大活躍をした。
大学時代の活躍から、日本ハムではレギュラー枠を用意されていたが、結局ケガに泣きそのレギュラーポジションを獲る事が出来なかった。
2003年には、山田勝彦捕手、伊達昌司投手との交換トレードで下柳剛とともに阪神にやってきた。
大阪出身の彼は根っからの阪神ファン。阪神が好きで野球を始め、いつかは縦縞を着てプレーしたかったと笑顔を見せた。
2005年9月7日の中日戦。
優勝への象徴的シーンとなったナゴヤドームでのあのミラクル決勝ホームランで一躍マニアうけするスターとなった。
人脈も広く、人望も厚く、明治派閥と言うこともあって、タイガースでは、早くから中村豊のその指導力に着目していた。
今回の引退を惜しむ他球団のスタッフも多く、その守備能力などを高く評価し、引退を拒否して移籍して来いなどという話も多かったと言う。
しかし、彼はタイガースに留まることを選択。
打診のあったコーチ就任を受諾することを表明し、引退となった。
常に個人よりチームを優先した漢。
現役通算成績は、536試合に出場 709打数176安打 打率.248 8本塁打 63打点
2006年、試合前の守備練習でスペンサー外野手と競って守備位置にダッシュで向かい1番を争っていた時の笑顔。
あの顔も忘れられない。
持ち前の明るさと熱血漢で、未来の虎戦士を育てて欲しい。
ありがとう。お疲れ様!中村豊!


















詳しくはhttp://baseballsns.jp/member/204/diary/25089/もご覧ください。




田村領平投手(自由契約)


和歌山市立商業高校から2002年ドラフト8順目で阪神タイガースに入団した。
井川2世として、左腕から繰り出す140キロ超の直球など、イキのいい投球への評価は高く、常に期待されていた。
2006年5月丹波でのサーパス戦、6月に甲子園で行ったサーパス戦で好投し、ようやく殻をやぶるかと思われたものだった。
しかし、度重なる故障で、手の届くところにあると思われた1軍のマウンドを経験せぬまま、今シーズンで阪神を戦力外となってしまった。
父親正雄氏も元太洋の投手。
県立和歌山商業から中央大を経て太洋にドラフト1位指名を受けた投手だ。
高校在学中から左の好投手として評判の選手だっただけに残念だ。
しかし、11月17日の第1回12球団合同トライアウトを受験。
千葉ロッテマリーンズに育成選手として入団が決まった。
怪我さえなければ、貴重な左腕投手としてまだまだ成長できるはず。
23歳と若い田村、ボビーの下でもう一度体を鍛えなおして、必ずや復肩してほしい。
阪神に解雇された悔しさをロッテで晴らせ!!
がんばれ、田村平投手!












詳しくはhttp://baseballsns.jp/member/204/diary/28454/もご覧ください








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