ある外国人助っ人投手の末路

マット・キーオ投手。
ヤンキース、カージナルス、アストロズで実績を残し、1987年 阪神タイガースの助っ人投手として来日した。
来年、ボーグルソンが背負う背番号「4」をつけ、ストレートとカーブを操り、1987年は11勝14敗、1988年は12勝12敗 1989年15勝9敗、1990年7勝9敗と来日後4年で45勝したエース級の助っ人投手だった。
1990年春に痛めた左ひざが回復せず、その年を最後に帰国した。

怪我さえなければ、虎のエースとしてさらに活躍が期待される投手だった。

そのキーオ投手の帰国後の末路・・・・

帰国後、現役を続行、1992年にはエンゼルスに所属。
しかし、オープン戦で頭に打球を受け、脳挫傷で危篤状態に・・・。
この大怪我で結局引退をした。

怪我から回復したものの引退後の生活は、悲惨らしい。
行方不明なったり、極度のアルコール依存症になり、飲酒運転の揚げ句に衝突事故を起こして、現場から逃走して逮捕されたり。
度重なる泥酔騒動で裁判沙汰、刑務所沙汰を繰り返し、札付きのアルコール依存症者に登録されてしまったそうだ。
最近も飲酒運転の罪で90日間の拘留処分を受けようやく出所。
しかし、出所早々に21日にホテルのバーで懲りずに痛飲し、酩酊状態で再逮捕。
また、刑務所生活に逆戻りしたそうである。
キーオの飲酒癖は1992年の頭部への打球直撃で負った脳の傷と関係があるといわれているらしい。
その事故から、性格、趣向も全く変わってしまったということだ。
記憶に残る阪神の名助っ人投手だけにその末路に悲哀を感じる。
ひざの怪我、頭部への打球の怪我。
怪我によって人生そのものも変わってしまう。
自分のプレーを魅せて、収入を売るプロスポーツ選手。
やはり、スポーツというものは、そういったリスクも考えながらプレーをしなければならないものなのだ。
阪神のエースとして活躍していた頃のキーオには、今のこのような末路など考えていなかっただろうに。

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