江藤智選手の通算1000打点達成に思う

西武の江藤智内野手がプロ33人目の通算1000打点を達成した。
プロ19年目、1770試合目での達成だ。
貴重な代打でのレフト前へのタイムリー
一塁ベース上で花束を渡され、笑顔を見せたという。
あと1打点に迫ってから計10打数で無安打。
ようやく達成したと言う感じだ。
思えば、巨人時代の2005年。
かつてのホームラン王が通算350本にあと1と迫っていた本塁打が遂に1本も打てず、翌年西武に移籍し、ようやく2年越しとなる通算350号本塁打を放った。
記録の節目に苦労している。
江藤智、やはりFAを行使したことにより自己の野球人生の軌道を狂わせてしまった選手と言っても過言ではないだろう。
高校時代、東京の関東高校では通算61本塁打を記録した。
当時、「東の江藤、西の谷繁」と言われるほどの強打の捕手として名を馳せていた。
その長打力を買われて1988年、ドラフト5位で広島東洋カープに捕手として入団。
その後肩を故障し、内野手に転向すると打撃で頭角を現した。
主に三塁手として、広島の4番打者として、またセントラル・リーグを代表する長距離打者として成長した。
1993年に本塁打王、1995年には本塁打王と打点王の二冠を獲得。
1994年8月には月間16本塁打。1999年8月12日の対横浜ベイスターズ戦では1試合10打点。
広島のアーチスト、滞空時間の長く、大空に放物線を描くホームランは素晴らしかった。
2000年にFA権を行使して読売へ移籍。
移籍初年はリーグ最多の勝利打点を挙げ、セ・リーグ優勝と日本一に貢献した。
しかし2002年以降、起用法の変化と共に徐々に成績が奮わなくなり、2004年には小久保裕紀の移籍で出場の機会も失った。
FA移籍した選手が、FA人的補償として移籍するというの両方を経験した初の選手でもある。
たら、ればの話になるが、仮に、FA行使をしていなければ、江藤個人の記録として、もっと早くにそれぞれの記録が達成されていたかもしれない。
もちろん2000本安打なども余裕で達成してただろう。
制度利用したことにより、自己の首を絞めてしまったと言ったら言い過ぎだろうか。
それでも、ライオンズでの最高年齢となった今も、現役としてその豊富な経験や人柄により、若い選手に対する貴重な存在感を示している。
今一度、あの放物線を描く大ホームランを見てみたい。
まだまだ指名打者や一塁手、三塁手として先発出場するチャンスもあるはず。
個人的には好きな選手である江藤。まだまだ記録を伸ばし続けてほしい。


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