実現して欲しい--伝説のユニホームの復活--
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そらまめ
2007年12月29日 09:17 visibility61
ソフトバンクが、来年南海創立70年、福岡本拠地移転20年の記念事業を行うそうだ。
格好のいいロゴなども出来上がり、大々的に行うようですね。
詳細は来年1月に発表されるそうだが、イベントの目玉の1つに南海やダイエー時代のユニホームを復刻し、公式戦で着用するプランが検討されているらしい。
南海ホークス。
かつて、大阪市に本拠地を置き、大阪球場を本拠地とした、パ・リーグに所属していたプロ野球チームだ。
前身は、近畿グレートリング、1947年から南海ホークスとなっている。
1988年、ダイエーに球団が売却され、福岡ダイエーホークスに生まれ変わり、38年間の難波伝説に幕を閉じた。
1950年〜60年代の南海ホークスは黄金期だった。
リーグ優勝10回のうち9回はこの頃に達成(1951,1952,1953,1955,1959,1961,1964,1965,1966,1973)。
そして日本一にも2回輝いている(1959,1964)。
鶴岡一人監督率いる、緑の軍団。
1951年〜53年はパリーグ3連覇。
鉄壁の守備力を誇り、一塁は飯田徳治、二塁には鶴岡と岡本伊三美、三塁が蔭山和夫、ショートに木塚忠助を配置し「100万ドルの内野陣」と呼ばれていたらしい。
1955年にもリーグ優勝を果たしたが、日本シリーズではいずれも読売に敗れ、当時「ナンカイ(何回)戦っても巨人に勝てないナンカイ(南海)」と皮肉を言われていたらしい。
1959年に立教大学から立教三羽烏「長嶋・杉浦・本屋敷」の一人である杉浦忠投手が入団。
入団当初から、エースとして働き、1959年に4年ぶり7度目のリーグ優勝を果たしている。
日本シリーズも杉浦投手が第1戦から4連投して4連勝、4勝0敗のストレートで巨人を下して、球団初の日本一に輝いている。
その時の大阪パレードは「涙の御堂筋パレード」と言われ、オールドファンには語り草になっているそうだ。
その後、1961年にはリーグ優勝。
1964年には阪神と日本シリーズを戦い、ジョー・スタンカ投手の2試合連続完封で制し、2度目の日本一に輝いている。
しかし、1970年代からは優勝から遠ざかり、その70年代後半から80年代は常にBクラス。
暗黒時代に突入し、労組の「野球に回す金があったら給料を上げろ」「早く球団を売れ」と赤字続きの球団運営への批判も高まり、1988年同時のオーナー川勝傳氏の逝去とともににダイエーへ身売りされた。
今では、本当に伝説となってしまった南海ホークス。
すでに、南海電鉄にも記念事業の趣旨説明を終えているそうで、あの伝説の、「緑を基調としたユニホームが復活する」可能性があるとなると、ファンとしてはたまらない。
絶対にあのユニで、公式戦を戦う姿を見てみたい。
来年のイベント概要の発表が待たれるところだ。
あの孫さんのこと、ファンの期待通りのことをズバリやってくれるに違いない。
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- 事務局に通報しました。
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