惜別!去り行く虎戦士を振り返る�
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そらまめ
2008年01月13日 01:16 visibility119
2003年、あの闘将星野仙一監督を「素晴らしい」と唸らせた男
かつての名セットアッパー
シリーズ「去り行く虎戦士を振り返る」3回目はこの方です。
吉野誠投手(オリックス移籍)
大宮東高から日大を経て1999年ドラフト2位で阪神に入団した。
日本大学ではエースとしてかなりの連投に耐えた。
スタミナは十分で、ストレートは微妙に変化するクセ球、スライダー・シュートを交えるコントロールが持ち味のオーバースロー投手だった。
しかし、入団当時から精神面に弱さがあると指摘されていた。
2002年、投球フォームをサイドスローに改造し一気にブレイク。
2003年には安藤優也、ジェフ・ウィリアムスとともに中継ぎでフル回転。
チーム最多の56試合に登板し、優勝に貢献した。
2003年の日本シリーズでは7試合中6試合に登板。
全ての試合で無失点に抑える大活躍を見せ、第3戦では勝利投手を記録。
当時の星野仙一監督にインタビューで「何より吉野が素晴らしい!」と絶賛されている。
しかし、サイドスローに転向したことで球威をつけたものの、持ち味であったコントロールが悪くなったことも事実。
2003年7月26日の中日戦では、1イニング5連続与四球という不名誉な日本タイ記録を作っている。
2004年以降は登板過多による蓄積疲労が指摘されたり、指の故障(左第3指屈筋腱炎)の影響と精神面に弱さで低迷。
2軍生活が長くなり、あの2002年2003年の輝きが既に薄れてきていた。
そして2007年11月16日濱中治と共に、阿部健太と平野恵一とのトレードでオリックスへの移籍が発表され、縦縞のユニフォームを脱ぐこととなった。
かつてサイドスローで左のワンポイントの遠山奬志が「遠山桜」と呼ばれていたことから、一部のファンの間では桜の名所である吉野山とかけて「吉野桜」と呼ばれることもある。
左のワンポイントとしてオリックスでの再起・活躍に期待したいものだ。
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