見逃し三振できるほどの信念

これは相当なものだ。DIMEさんも仰ってたけど、日本では見逃し三振を過剰なまでに批判する風潮がある。それによって追い込まれるとボール臭い球に手を出すようになる。フェアゾーンに飛んでしまえばアウトになりやすいし、ファールにするなんて芸当はそうそう出来るもんじゃない。打てないと経験上知ってるから見送ると、半分近くはストライクの判定になる。そこで「何やってるんだ、みっともない」という非難を浴びるのだ。

野球にはカウントというものがある。1−2、2−1、2−3など様々なものがあり、打者有利、投手有利なカウントが生まれ、それぞれが自分が有利なようにしようと考えているのだ。投手は打たれたくない、四球を出したくないという中での葛藤があるし、打者は打者で打ちたい、アウトになりたくないという中で戦っているのだ。

2−1のカウントで僕が打てる確率はどのくらいあるんだろう。おそらく2割無い。その状況で考えることは、どうやって自分が有利なカウントまでもっていけるかってこと。それと次の球がボール球である可能性が高いことを自分の中で確認をするかな。その中で甘い球が来れば長打を打てる準備もしておく。

1−2ならどうか。相手はボール球を投げれない状況である。ストライクゾーンに来る可能性は高い。それでもどんなにコントロールのいい投手でも3〜4割はストライクにならない。例えストライクでも甘くなければ見逃せる余裕がある。だから必ずしも振る必要はない。

これだけ見逃し三振が悪い印象を持たれていると、打者は勇気をもって見送れるものではない。それでも敢えて言いたい。信念をもって打席に立ってほしい。それともう一つ。10打席に1度の四球を選べないのは、打者としての怠慢であると。

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