巨人の戦力外情報と斉藤宜之

10月1日ということで各球団から戦力外、引退の発表が多くありました。巨人は歌籐だけでしたが去年も一気にというよりは徐々に発表する感じだったので本格的にはシーズン終了後やクライマックスシリーズ、日本シリーズが終わってからでしょう。これで外国人のバーンサイド、アルフォンゾについで3人目で現時点で支配下登録選手が64名になりました。一応空きは6名ですが支配下いっぱいに埋めることはないのでこれからのドラフト、新外国人等の補強を考えると後2、3名は戦力外にするでしょう。

今日の戦力外情報で最も気になったのがヤクルトの斉藤宜之選手です。もちろんご存知の方も多いと思いますが元巨人の選手で長嶋政権で期待の若手として期待され、原第一次政権ではそこそこ活躍して一時はレギュラーを取るところまでいきました。ただその後は怪我や原監督退任に伴い堀内政権ではあまり出番には恵まれず原監督が復帰した2007年に戦力外になりました。しかしその打撃を買われ、すぐヤクルトに拾われ巨人ファンとしてヤクルトでの活躍を応援していましたが結果を残せず今年再び自由契約になりました。

彼は自分にとっても思い入れが深く巨人が大型補強に走る頃、唯一といってもいいくらいの高卒の生え抜き野手として応援していました。当時自分は巨人ファンではあったが巨人の方針(FA、外国人中心でドラフトでは主に逆指名中心のドラフト)が嫌いでほぼ巨人ファンを辞めていました。ただ完全に巨人ファンを辞めることは出来ず選手個人のみ応援するスタイルでした。その時に期待して、応援していたのが野手では斉藤宜之、投手では岡島(現レッドソックス)でした。

彼は広角に打てる打撃が特徴の3拍子揃った選手として期待されていました。ただ当時の巨人は次から次へと他球団からFAで選手を獲得し、外国人も毎年、毎年連れてくるような時代で若手(特に高卒選手)にとってはなかなかチャンスすらもらえない厳しい時代で彼も例外ではなく、代打やたまに先発がある程度で結果が出ないとすぐ2軍降格させられるなど不遇の時代が続きました。しかし彼にも転機が来ます。原監督の就任です。原監督は守備や走塁などを重視し、若手とベテランが同じ能力なら若手を使うという方針で積極的に使われ、原監督初年度の2002年には規定打席には足りないものの初めて3割を打ち、次年度にはある程度レギュラーとして活躍して289、11本という成績を納めてその後の活躍が期待されました。

しかし彼にとって不運だったのは2003年に成績不振で原監督が辞任してしまったことです。ある程度レギュラーをつかみかけていた所だったので彼にとってはものすごく痛かった。その後の堀内政権では怪我もあり、あまり重宝されず原監督が復帰した頃は怪我により打撃もさびついていて同じタイプの亀井などの起用を重視したこともあって2007年に戦力外になりました。

斉藤宜之選手は巨人の中では高卒で期待できる選手として稀な存在で自分みたいな巨人ファンの期待を一心に受けていたこともありマスコミに実力以上の評価をされてしまったことが可哀想だったし、後はやっぱり怪我が多かった印象が強くてこれからという時に離脱したりしていたのでそれがレギュラーになりきれなかった原因ですね。

結構長い文章になってしまいましたが本日、ヤクルトを戦力外を受けたということで元巨人戦士として斉藤宜之について語ってみました。しかし彼はまだ33歳なのでもう一花咲かせてほしいなぁというのが率直な気持ちで地元横浜や楽天あたりどうか彼をとってやってください。お願いします!!

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