思い出に残ったシーン・選手・・・その4
-
アストロズ
2007年02月04日 21:59 visibility2948
段々マニアックではなく、一般的な話になってきてもうネタがないことが バレバレなんですけど、記憶をたどりながら投稿します。 今回はあの三冠王を自分の代名詞にして尚かつ価値を下げてしまった感が 否めない「落合博満」選手ともう一人の「ヒロミツ」さんです。 ご存じ落合選手から。 一回目の三冠王の時は数字が低いだのなんだのと避難ばかりされて かわいそうでした。 本人も次は文句を言わせんとばかりに二度目三度目(85年、86年)には 最高の数字を残しました。 その頃の別な代名詞 「オレ流」 個人プレーの申し子みたいに扱われてひどいなあーとも当時 思っていましたが当の本人は全く気にしてない様子で逆に煩わしくなくて いいとでも思ったのかあえてそのような態度で臨んでいたとも思われます。そんな「オレこそが一番」としている落合選手でも当時恐れる選手が いました。 85年か86年のどっちかでしたがインタビューで 「ライバルは誰ですか?」 とよくある質問にも拘わらず怒りもしないでしっかり 「門田さん」と答えてました。 そうもう一人の「ヒロミツ」さん 不惑の本塁打王「門田博光選手」です。 門田選手はアキレス腱断裂の大けがから復帰して本塁打王にもなりました。が、当時は数字的にも落ち込んでいて本塁打の数も10本から15本は 開いていた思います。 それでも落合選手は怖いと言っていたのです。 インタビュアーも「開いているのにですか?」と聞き返してました。 「それでも門田さん」の一点張り。 結局は20本近く差が開いたと思いましたが。 誰もが「落ち目」と見ていた門田選手。 しかし、その後の盛り返しは皆さんの知るところでしょう。 40歳にして44本と125打点の二冠王 天才は天才を知るんですかね。 確かに全盛期の落合選手をしてびびってしまう存在ですよね。 まあ、でもその「門田選手」色々とエピソードが。 「若い頃、場外へ打つことだけを考えていたから年取ってからはちょうど よくスタンドインするようになったんとちがうかな」と発言したり、 雨天時にみんなが室内で練習してる中、「足によくない」と外に出て 土の上を傘を片手にランニングしたり 牛島のフォークを投げた瞬間一歩前に出て落ち際を打つという 漫画みたいな打法とか。。。 でもやはり驚かされるのはその「打球の速さ」。 東京ドームのこけら落とし企画トーナメントで明らかに振り遅れの 打球があっという間に三塁線を抜けてレフトの壁へ。 当然(?)門田選手は一塁ストップ。 右打者が引っ張るよりも速いのです。。。 そんな門田選手も92年、野茂を相手に現役生活を全うしました。 「門田らしい豪快な三振で締めくくった」 と新聞記事にはありましたが僕から見れば波打つあまりにも無様な振り でした。 でもそれが門田選手らしかったと思います。 それから6年後の98年。 落合選手も日ハムで引退。 最後はセカンドゴロ。 その結果にマスコミも期待してなかったのか 「落合最後は初心に返って代打で登場」でした。 でも僕から見ればそのセカンドゴロこそ達人技でした。 低めに落ちる変化球を右方向に打つ。 落合選手がその打ち方を会得したからこそ今地位を築けたのだと 思いますが。。。 そしてボロボロでありながらもそう見せずに終わる落合選手の美学。 対照的な二人ですがなんとなく似てる感じがするのは僕だけでしょうか? (引退時門田44歳。落合45歳。) 願わくばパリーグでもう少し争いが見たかったと思います。 すいません、長々とそれもやはりマニアックになってしまいまして。。。
chat コメント 0件
コメントをもっと見る0