あの日、あの瞬間
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鴎人
2019年08月13日 07:04 visibility241
今回、金色堂に行くという話をライダー仲間にしたら、日にちがあるなら、松島や海岸線の方を行ってみたら、と勧められ
旅のメインは済ませたので、そっちに向かうことに。
くそ暑いテントから這い出て、空を見ると
いつでも降らせまっせ!
というような空が広がっていた。
テントの夜は早い‼️
なので、必然的に朝も早い‼️
モーニングコーヒーを飲み、歯磨きして、身支度を整え、念のための雨準備をして(途中で止まって雨準備というのは面倒)、出発。
松島は二度目。とはいえ、訪れてから10年は経つ。
震災後初。
松島は、上の方から見たい、眺めたい場所ですね。平面では、イマイチ素晴らしさが伝わりにくい。
朝の散歩がてらウロウロしていたら、車より高い位置に津波到達ラインの表示。
目の前海だから一溜りもなかったろうな。
パッと見は、復興は進んでいました。
そこからは、南下。
ルート確認で地図を見ていたら、前回来たときの注意書きが。
全く記憶にないのだが、これから向かうとこは一度通っていた‼️
今日は、どの辺りまで行くかなぁ⁉️、どこで泊まるかなぁ、この空だとテントは無理かなぁと考えながら、走らせる。
もう国道はつまらないからと県道
ふと看板が目に入る。
後続車もあり、急には進路変更出来なかったので、しばらくそのまま真っ直ぐ走っていたけど、どうにも気になって、Uターン‼️
まだ開園していなかったが、時間まではあと少し。
周りは、復興工事の真っ最中⁉️荒涼としてました。
3月11日金曜日。
東日本大震災。
震災機構として、遺されていました。
この手の物って、外から眺めるだけというのが、多いが、実際に中に入れました。
この校舎の中に車三台が津波により押し込められていたそうです。
津波は二階まで到達。その痕もくっきりと残っていました。実際にそこにあった実物のロッカーに一本の茶色の線。それが津波の痕。
校舎の中は、一、二階はほぼ当時のまま、四階は、当時の状況を写真で紹介する部屋、街並みを模型で再現していたり、震災当時の状況の映像を流す部屋になっていて、語り継がれるようになっていました。
厳粛、厳正な気持ちになりましたよ。
時間があるなら、いや、作ってでも行くべき場所だと思いました。
金色堂がメインの旅ではありましたが、こちらの方が感じたものは、大きかったですね。
リアルタイムで体験したから、というのもあるのでしょうが、見世物ではないから、といのもあるのでしょう。
そこからの南下は、気持ちが違いましたね。
見るものの価値観が変わったというか。
今は、海岸沿いに大きな堤防を作っていて、海が見えず、海無し県出身者としては少し寂しくはありましたが、まったく見えないわけでもなく。
とにかくまずは、自然と共存しないとね。
ここまでは、時間的にも順調。
どこまで海岸線を行くか、相馬まで行こうかな、とも考えたが、地図の注意書きを思いだし、山に入る。
多少変わってはいたものの、注意書きの通り、気持ちの良い山道でした。
- 事務局に通報しました。
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