佐藤勇人のドラマ その3


今回で3回目になった佐藤勇人のドラマ。

今季。加藤Q監督はエブリバディ・キャプテンとして
キャプテンを固定しないで毎試合毎にキャプテンを代えていました。。。

シジクレイがキャプテンを務めることが多かったですけど
夏の中断期間明けから、佐藤勇人が実質固定のキャプテンとして
再出発しました。。。。  移籍半年のサンガでのキャリアでキャプテン。。。

さて、その答えは今回のドラマで見つけられるでしょうか…


初めての移籍

 勇人は京都からのオファーに、悩んだ。来る日も来る日も・・・。















「体にきましたね。体調を壊して病院にも行きましたし、普段はすごく便利な携帯が、あのときだけは、初めて邪魔に思えた。いろんな人からの電話で、もちろん嬉しい電話なんですけど、もう勘弁してくれって思った・・・。どこか誰も知らないところに行って、独りで考えたかった。引き留めの電話とかもあって、何がベストかを決めるのには、本当に時間がかかりました」

 
 勇人は、結論を出せないまま、弟と自主トレをしに日本を出た。

「自主トレで決めるからって、弟に話をしていて。弟は、いろんなチームを渡り歩いているし、移籍の大変さも、いい事も知ってる。そういう話をざっくばらんにしてくれた。あの自主トレのときに、ようやく決められたかな」





京都というチーム

「正直悩みましたね。J1とJ2を行き来しているチームっていうイメージがありました。J2からJ1に上がってきたばかりのチームで、それもJ2でダントツで上がってきたチームではなくて、入れ替え戦を勝ち上がって来たチーム。言ってみれば、J1では一番下のチームじゃないですか。どうなんだろうなって思いました」

 
 京都は、昨シーズン、J2で3位になり、J1で16位の広島との入れ替え戦で、1勝1分で勝利し、一年でJ1復帰を果たしたチーム。

 
 '07年12月8日J1・J2入れ替え戦。勇人は弟の応援をするため、広島ビッグアーチに足を運んだ。


「もちろん、広島を応援しに行ったんですけど、あの試合で、京都のチームの一体感を感じた。みんなが本当に上を目指しているっていうのが伝わってきて、それが印象に残っていた。その後、ヤナさん(柳沢)を獲得したり、シジ(シジクレイ)や、マス(増嶋)、水さん(水谷)とか、補強をしているっていうのが耳に入って、京都がもう同じ過ちを繰り返したくないっていう気持ちもすごく感じた。

 久さん(加藤監督)が、わざわざ自宅のある千葉まで来て話をしてくれたりして、少しずつ京都というチームはこれから良くなっていくんじゃないかなって思った。

 あとは、サッカー選手として、人間として、また新しい発見があると思うし、そういう体験をするのも悪くないかなって。オシムさんの『人生リスクを冒さないと成長はない』っていう言葉も頭の中にあったので、何も知らないところに行くっていうリスクを冒して、自分が一回りも、二回りも成長できるのかなって思って、決断しました」







代表への思い

「もちろん、代表も考えての移籍だし、現に、移籍してきてから、自分のプレースタイルが少し広がったかなって思う。ジェフで求められていたものと、京都で求められるものが違うっていうのもあって、新しいプレースタイルを発見できています」

 
 勇人は、'06年8月16日、アジアカップ予選イエメン戦で日本代表デビューを果たしていた。その出場は、日本サッカー史上初となる双子選手の国際Aマッチ同時出場として記録されている。
 
 それから、約2年―。勇人は野心を持ち、京都に移籍した。
 代表も視野に入れての勇人の挑戦は、まだ始まったばかり。





京都での新たなスタート

 総監督を経て'07年10月から監督に就任した加藤久監督の下、サンガは'08年、新たに、9人の新加入選手を迎えた。
 
 中でも、柳沢と並び、勇人の加入は注目を集めた。
 
 背番号は、かつて、弟の分も戦いたいと気持ちをこめた14番。

「最初は慣れるのに時間がかかりましたけど、今はみんなとコミュニケーションがとれるようになりました」


 勇人は、2月の鹿児島キャンプから豊富な運動量でアピールし、開幕スタメンで起用された。勇人の存在感は大きく、ここまでフルタイム出場を続けている。


(※いよいよ次回で最終回です。移籍して京都で試合をして印象に残った試合や古巣対戦の感想など…)






















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