新田という選手
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kazu四十路
2008年03月07日 11:19 visibility56
もちろん我がHondaFCのエースストライカーである。
地元浜松市出身で清水商業高から入部。
小野伸二の1つ先輩。
って書けばスゴイ選手になるのだろうか?
正直、入部当初の彼のプレーは褒められるものでは
無かった。
足も決して速くない。
ポストプレーも下手だった。
決定機を何度も外し私達はため息ばかりだった。
ドタドタ走りにもイラつくことが多かった。
入部直後にスタッフに彼について聞いたことがある。
「彼は性格も良く頭の良い選手」
何処かで聞いたような台詞だった。
また、彼を使い続けることに疑問を持ったときに
当時の監督に聞いたことがある。
「(FWに怪我人が多く)他に誰が居る?」
逆に質問されてしまった(笑)。
彼が「9」を引き継いだときには、正直何故?
と思ったこともある。
ところがその彼が飛躍を遂げることになる。
入部5年目に27試合に出場し、17得点をあげた。
2001年本田技研サッカー部の名称での最後の年。
見事JFL優勝に貢献。
以後怪我にも苦しんだが、11年で96得点をあげる
選手にまで成長した。
今も試合中選手を鼓舞する新田の声がピッチに響く。
98年12月13日 天皇杯3回戦 対ジェフ市原
この試合で本田技研はジェフ市原を2−0で破る金星を挙げた。
この時新田はスタメンに名を連ねていた。
試合開始前に整列した際、メインスタンドにいたベンチ外メンバーに
まさに踊りながらおどけて見せていた新田。
正直「新田のアホ!」と思っていたが当時から、チームのムードメーカー
としての資質は備わっていたようである(笑)。
今やHondaFCには無くてはならないエース。
だが新田に残された選手生命は、そう長くはない。
チームとしては新田の後釜育成が急務だろう。
それが早坂なのか川島大なのか鵜飼なのか。
新田を育成したHondaFC育成の伝統を信じるしかないのかも
しれない。
新田 まだまだ辞めないでくれ。
俺はまだまだ君のプレーが見たい。
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