☆ぶらり散策日記~グランド坂・消えた球場ややパクリ編~

 

 

 



 


1915年(大正4年)第1回夏の大会の開催発表と告知は、同年7月2日の大阪朝日新聞紙上の一面社告であった。


その文面には、「八月中旬を卜し全國各地方の中等學校中より其代表野球團、即ち各地方を代表せりと認むべき野球大會に於ける最優勝校を大阪に聘し豊中グラウンドに於て全國中等學校野球大會を行ひ以て其選手權を争はしめんとす。」と記されていた。


各地区の予選を勝ち抜いた学校が代表校として全国大会に参加するとしたものの、直前過ぎたためにすぐに予選を始めないと間に合わないタイミングであった。


実際、各地区で予選に参加できない県が続出し、関東地区においても、予選消化が間に合わず全県が不参加となり、春の東京大会(都下中学野球優勝戦・1915年3月27日~3月29日)で優勝した早稲田実が関東代表として出場することとなった。


春の東京大会は、早稲田実、荏原中、日本中、早稲田中、慶応普通部、麻布中、立教中、成城中の8校が参加し、早大戸塚球場で開催された。


 


翌年の夏の予選は関東中等学校野球大会として、東京を含む関東地区予選で全国大会出場を争うこととなり、神奈川から神奈川一中、神奈川師範の2校、茨城から竜ヶ崎中の1校、東京から慶応普通部、早稲田実、青山学院中、早稲田中、成城中、立教中、大成中、荏原中、明治学院中、錦城商、日本中、高輪中、麻布中の13校、計16校が参加し、7月25日~8月2日の9日間、早大戸塚球場で熱戦が繰り広げられた。

個人的には、過去の日記で記述した甲子園出場校である、神奈川一中(現・希望ヶ丘)、竜ヶ崎中(現・竜ヶ崎一)の名前が目に留まった。

 


この大会の試合結果は以下の通りである。

 


◇1回戦


成城中 10-0 立教中(7回コールド)


慶応普通部 23-0 大成中(5回コールド)


神奈川師範 6-2 荏原中


青山学院中 14-10 明治学院中(延長11回)


竜ヶ崎中 15-1 錦城商(7回コールド)


早稲田中 4-1 日本中


早稲田実 9-4 高輪中


神奈川一中 10-0 麻布中(8回コールド)


 


◇準々決勝


慶応普通部 5-1 成城中


青山学院中 2-1 神奈川師範


早稲田中 8-7 竜ヶ崎中(延長10回サヨナラ)


早稲田実 7-6 神奈川一中(逆転サヨナラ)


 


◇準決勝


慶応普通部 3-1 青山学院中


早稲田実 13-4 早稲田中


 


◇決勝


慶応普通部 13-9 早稲田実


 


 


 


もうひとつ目に留まったのが、大会が開催された早大戸塚球場である。


早大戸塚球場は、左翼97.5m、右翼91.4m、中堅121.9mの広さで、1902年(明治35年)に早稲田大学が西早稲田の地に設けた球場で、学生野球を中心に使用され、日本で初めて照明を設置した球場のようである。
その戸塚球場は、1987年11月に閉鎖され、現在は早大の総合学術情報センターになっている。
今では、球場の面影は全く残っていないが、周囲をよく見ると、新目白通りを明治通り方面に向かう左手には「グランド坂通り」という言葉が残り、総合学術情報センターの敷地内には学生野球の父と称された飛田穂洲の胸象などがあり、この地に間違いなく野球場が存在していたことを留めていた。


 


 


 


以上です。

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