☆甲子園で試合をしていない甲子園出場校~94年の時を経て時計の針が動き出した~

 

 

 

 

広島国泰寺高校は、1877年(明治10年)創立の伝統校で、野球部は1889年(明治22年)に創部された広島県内最古の歴史を持ちます。


一方の宇治山田高校も、1899年(明治32年)に創立された三重県内有数の伝統校です。


ラボ友の方々が何度か取り上げていますので、皆さま既にご承知のことと存じますが、両校の共通点は1915年(大正4年)の第1回夏の大会に出場して以来甲子園大会に出場していないということです。
また、広島国泰寺(広島中)は開幕試合で鳥取中に7-14、宇治山田(三重四中)も初戦で秋田中に1-9で敗れ、共に甲子園での勝ち星がなく、さらに、以前の日記で記述した通り甲子園球場での試合経験がありません。


広島国泰寺は、広島商や広陵を始めとする強豪ひしめく広島県内の中にあって頂点への道のりはかなり厳しい状況となっている。


宇治山田も、平成4年夏の三重県大会で決勝に進出したが、惜しくも三重高校に敗退し、あと一歩のところで甲子園を逃している。


 


しかし、この両校は違う形で甲子園の舞台に立つこととなった。


2009年の第91回全国高校野球選手権大会にて、広島国泰寺の田中怜朗主将が開会第1試合の始球式を、宇治山田の高橋俊平主将が開会式の先導役を務めた。


これは、第1回大会代表10校のうち、両校だけがその後全国大会から遠ざかっており、94年ぶりに両校を全国大会のグラウンドに迎え、91回を数えた大会の歴史を振り返るとして、高野連と主催の朝日新聞社が企画したものであった。


 


開会式で先導役を務めた高橋俊平主将と、始球式に登板した田中怜朗主将は健闘を称え合い、固い握手を交わした。
「進学先も知りたいし同じチームでやれたら」と田中主将がラブコールを送れば、高橋主将も「チャンスがあれば一緒に」と笑顔で応えた。


両校は、夏の選手権大会が始まる前の6月に旧広島市民球場でOB戦を開催し、94年もの間止まっていた時計の針を動かしたのだ。


開幕試合に沸く甲子園の外でOB達は、「ここで結ばれたので永く続けていきたい」「歴史の重み、伝統を感じた」「1回目があったから今がある」と静かに天を仰いだ。


記念撮影で両主将は、「今日は先輩方のおかげ。後輩たちにも甲子園に行ってほしい」と感謝した。一方で、レンズに納まる後輩の笑顔を大先輩が温かく見守っていた。


 


 


 


繰り返し記述しておきますが、第1回夏の大会出場校は以下の10校です。


 


秋田中(秋田高校)
早稲田実(早稲田実)
三重四中(宇治山田高校)
京都二中(鳥羽高校)
神戸二中(兵庫高校)
和歌山中(桐蔭高校)
鳥取中(鳥取西高校)
広島中(広島国泰寺高校)
高松中(高松高校)
久留米商(久留米商)


 


 


 


以上です。

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