☆657号記念~勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし~




通算本塁打657本を打った野村克也氏は、京都府立峰山高校出身である。
峰山高校は、京都府の最北部に位置する人口約58,000人の京丹後市にあり、平成11年の春の選抜大会に一回だけ出場している、丹後地区の古豪である。


野村監督の名言に、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉があります。
これは、肥前・平戸藩の第9代藩主であった松浦静山の剣術書からの引用のようです。


松浦静山は、平戸藩世嗣・松浦政信の長男として生まれた。父の早世に伴って静山は、12歳で祖父・誠信(八代藩主)の養嗣子となり、16歳の若さで家督を相続した。
静山は江戸中期の泰平の世にあって「心形刀流」を究めて印可を受けた。そのほか弓・馬・槍術や柔術まで武芸全般の修行を積んだ経験を持つ。
幼い頃から記憶力に優れ学問を愛した静山だが、いつまで生きられるかと危ぶまれるほどに病弱だった。その虚弱な体質を克服するため、教育にあたった祖母が文武両道を説いたとされる。江戸の商家出身の祖母がさばけた性格で、大名家の教育方法に固執しなかったのが幸いしたようだ。
静山は藩校・維新館を設立して自ら学を講じるとともに武芸の普及を図った。また藩政の改革を進めるため、身分にとらわれない人材登用も行った。
47歳で家督を三男に譲って隠居し、以後は執筆活動に従事した。1821年の甲子の日の夜に起草した「甲子夜話」は亡くなるまで毎夜書き足され、278巻に及ぶ。


「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」、これは、勝つ時は、運に左右されて偶然勝ちが転がり込んでくることがあるが、負ける時は負けるべくして負ける。負けには必ず原因があるということでしょう。

この言葉は、スポーツのみならず、仕事や人生にも当てはまる言葉でしよう。
負けた時、失敗した時、物事がうまく運ばなかった時、「運がなかった」で済ませるのではなく、謙虚に受け止め、原因を追究して次に活かす。
当たり前のことを当たり前にし、やるべきことを着実にやり、手を抜かずやり通すことが大事なのでしょう。
その際、PDCAサイクル(plan・計画⇒ do・実施⇒ check・評価⇒ act・処置、改善の4段階を順次行い、後のactを次のPDCAサイクルにつなげ、継続的な作業改善をしていく手法)をうまく回していくのも1つの手法でしょう。

失敗しないためには、「運」が味方するように、普段から努力を続け、当たり前のことを当たり前に行う、あるいはやるべきことを行うこと「鈍」と、最後まで手抜きせずやり通すこと「根」に、全力を尽くす事が必要なのでしょう。
とても含蓄のある言葉です。


これを別の言葉に置き換えると、
「人間にもっとも大切な運は、鈍でなければつかめない。利口ぶってこちらでチョコマカすると、運のほうでツルリツルリすべって逃げてしまう。鈍を守りきるにはどうしても根がなければならない。」
となりますかね。
これは、野村克也氏と同じ京都出身である、古河財閥の祖・古河市兵衛氏の言葉である。

「運」については、多分に本人の性格によるものでしょう。出会いや、人の縁を生かせる人かどうかにもよります。
「鈍」については、成功するためには、頭がよすぎて才走った人ではダメだと言っているのです。
「根」については、ものごとに耐える気力・根気・根性のことを指しています。
「運・鈍・根」この3つの「ん」が成功の3要素なのでしょう。



我々、K-POP関係者は、この「ウン・ドン・コン」を売り出し、紅白出場を目指したいと考えております。





大変、失礼しました。














































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