#236 第二の松田直樹を作らないために…





 









 

現在盛り上がっているロンドン五輪…男女揃ってベスト4という歴史的できごとが起きた8月4日は、96年アトランタ五輪でブラジルを撃破した「マイアミの奇跡」を起こした立役者の1人である松田直樹氏の急逝から、ちょうど1年が経過した命日でした。

 







 

 

翌5日には、松田氏が所属していた「松本山雅」の愛媛FC戦が行われたが、会場となったアルウィンには、彼の一周忌を追悼しようと1万人を超えるサポーターが集まったそうです。

試合前には昨季のプレーやインタビュー映像などが流され、1年が経った今でも信じられないという思いで映像を見ていたサポーターが多くいたことでしょう。

 






 

また、この試合に合わせ、松田直樹氏を偲び記帳する企画もあり、一般社団法人 松田直樹メモリアルが静岡市の広告製作会社の協力を得てAEDを松本山雅に寄贈したそうです。

 






 

なお、先日の日記http://labola.jp/diary/19599523で取り上げたツエーゲン金沢が企画した『AED普及マッチ with Jドリームズ』も松田氏の命日8月4日に行われ、松田直樹氏の事故死を風化させないために、多くのサッカーファミリーが集まりました。

 



 










 

 

松田氏の親友で、一般社団法人 松田直樹メモリアルの会長を務める安永聡太郎氏は「直樹の死を悲しんでいるだけでは本人も浮かばれない。どうにかして第二の直樹を出さないためにはどうすればいいかを考えた時、少しでもAED普及に尽力していくことが一番じゃないかなと思った」と語っているように、助かる命を救える環境を整えようと動いている。

 






 

確かに松田直樹氏が急性心筋梗塞で倒れた際も、AEDがあれば命を救える可能性はゼロではなかった。しかしそれを設置しているスポーツ施設は限られており、まずはAEDの数を増やし、使い方をみんなが学んでいくことが、悲劇を繰り返さないために必要不可欠といえる。

 

 

また、「AEDの設置台数を増やすことはもちろんのこと、どこにあるか全国のみなさんに発信したり、サッカー教室を実施する中で使い方を説明したりすることはすごく大事。そういう情報を広めていくことが次の一歩につながる。AEDも安いものではないので、何台も僕らが寄贈できるわけじゃないけど、そういうものが必要なんだということは今後も言い続けていきたい」と安永氏は繰り返し強調している。

 






 

松田直樹の悲劇が起きてから、日本中で救命講習会を受けたり、AEDがどこにあるかを気にする人も増えたのではないかと思います。

 

 

このように年に1回みんなで思い出し、松田氏と同じ事故で命を落とす人がでないように、風化させてはいけない事故だと感じます。

 

 

AEDは、駅やスタジアムなど大きな施設には必ず設置されているが、実際に使った人など極僅か‥使用方法を学ぶ機会も義務(しかし車の免許所有者は受講しているはずです)ではないので、受講機会は自主的なものでしかないのが現状です。もしも目の前に心臓発作を起こした人が現れたら、迅速な救命活動ができるかどうか?現状では多くの人がその瞬間に遭遇した時、慌てふためくか、何もできずに傍観することになるのかもしれません…

 











 

松田氏の死後、各県や地域のサッカー協会が中心となって指導者を対象に講習を積極的に開くようになったという話も耳にしますが、それだけではまだまだ足りません。指導者だけでなく、選手たちや保護者、サッカーに携わる関係者まで知識が伝達されてこそ、安心な環境が生まれます。

 






 

このことが、サッカーを通じて生活の安全安心を作っていくことにも繋がっていきます。

 

 



ロアッソ熊本が昨シーズンホームゲームの試合前に、観客にAED使用方法の説明をしたり、各ゲートのところで実演をしてみせるなど、このようにできることはいくつも考えられます。それを各クラブが積極的にやって欲しいと願います。

 






 

今回残念だったのは、この企画の趣旨が合う年に一度の8月4日にツエーゲンのような企画を実行したクラブがないこと…松田氏を偲んで3クラブで記帳するイベントはありましたが、使用方法などの広報活動が『第二の松田氏』を作らないためには、重要だと思います。残念ながら昨シーズンホームゲーム前にイベントを行なっていたロアッソ熊本も今シーズンは行なっていません。

 

 

各年代の大会前に救命講習会を義務化するくらい大胆にやってもいいだろうと考えます。中高年代で行われている「高円宮杯」をこ存じの人は多いでしょう…

 






 

なぜこの大会名になったのかはご存知ですか?高円宮憲仁親王(前・日本サッカー協会名誉総裁)2002年の日韓W杯誘致など日本のサッカー界に大きく貢献された方です。

 






 

残念なことにW杯の後2002年11月12日カナダ大使館にてスカッシュの練習中に心室細動による心不全で倒れ、死去されたことをきっかけに大会名がつけられました。

 

 

この際、松田氏と同じくAEDがあれば命を救える可能性はゼロではなかったと言われています。高円宮親王の死亡事故がきっかけとなり、一般人でもAEDが使用できるように2004年から改正されました。

 

 

正しい知識や意識を広げることが、松田直樹の死に報いることになると信じています。

 

 

松田直樹氏の死亡事故後、日本サッカー協会がJFLへの設置義務化を進めましたが、最低限の事後処置を行なったにすぎません。各年代の大会での講習義務化など、本当の意味での広報活動‥安全確保を検討して欲しいものです。





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