#243 オリンピック 奇跡の聖火ランナー ~緊急事態発生~
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ペスカドーレ
2012年08月27日 22:21 visibility951
ムアンバ選手が、78分間もの心停止からどうして生還できたのか?
その「奇跡」を導いたのには、様々な人の完璧な応急処置、そして過去の苦い経験から学んだ「教訓」がありました。
先日、2012オリンピックが行われたイングランドでの“奇跡”を生んだ「教訓」と「経緯」をこれからまとめてみます。
<突如訪れた異変‥>
3月17日、サッカーのFA(イングランド協会)カップ、トットナムの本拠地で行われた準々決勝「ボルトン対トットナム」との試合中に異変が起きた。
小雨が降り続く中、試合は始まった。
1-1と拮抗した試合展開が続いていた前半41分、トットナムの攻撃にスタジアム全員が気をとられていたその瞬間だった。反対側のピッチに目をやると、ボルトンの選手が1人、自陣側のピッチの上に倒れていた。
倒れていたのは、MFファブリス・ムアンバ(23)…心停止状態だった。
「最初は肘打ちを食らったかなと思った」とレドナップ監督(トットナム)は振り返っている。
ピッチに倒れているムアンバに最初に気付いたのは、10メートル弱の距離にいたトットナムのラファエル・ファンデルファールトだった。
プレーの展開とは離れた位置で横たわる相手選手(ムアンバ)の姿に、事態の深刻さを察知したのだろう。必死のジェスチャーで緊急事態をベンチに告げ、即座に両チームの医療スタッフとスタジアムの救急隊が、次々とピッチへ駆け込んで行く。
さらに、ただ事ではない雰囲気を感じ取った一人のトットナムファンがピッチへ飛び出し、制止する警備員に自らの職業(=循環器専門医)を伝え、救命活動への的確な指示を与えました。
<懸命の救命措置>
3万6千人のファンが固唾を呑み見守る中、医療チームの1人が心臓マッサージ(胸骨圧迫)を始めた時、誰もが事態の深刻さに気づいた。
心臓に電気ショックを与えるAED(除細動器)が持ち込まれ、懸命な救命措置は続いた。
近くでその様子を見守る選手たちの表情も次第に曇り、力を無くして他の選手に寄り添う選手、しゃがみこんで手を合わせる選手。チームメイトの宮市亮は両手を頭に当て、顔をしわくちゃにしながら目の前で起こっているショッキングな出来事を見守っていた。
<沸き起こるムアンバコール>
その時、メーンスタンド右のコーナーフラッグ付近に陣取っていたボルトンのファンが「ファブリス・ムアンバ~!」とコールを始めた。すぐにトットナムのファンもそれに呼応し、ムアンバコールの大声援はスタジアム全体を包み込んだ。次いで、拍手も湧き起こり、目の前で自らの生命と戦っているムアンバにスタジアム全体で声援を送ったのである。
つい数分前までは、互いを野次り合っていたというのに、自然に敵も味方も関係なく、スタジアムが一つになってムアンバへのエールを送っていた。
<数々の奇跡>
約10分後、ムアンバは担架で運び出され、救急車で心臓発作の専門医療施設があるロンドン・チェスト病院へ救急搬送された。偶然にもピッチへ駆け下りて救命措置を手伝ったトットナムファンのアンドリュー・ディーンナー医師は、その病院の医局長だった。医療チームの適切な処置はもちろんだが、専門医による早期搬送判断と受入連絡も奇跡を呼ぶ一因となった。
その後も奇跡は続く…マンチェスター・ユナイテッドのルーニーやリオ・ファーディナンドらが、ムアンバを見舞うメッセージをすぐにツイッターに投稿。同じピッチで悲劇を目の前にしたトットナムのファンデルファールトらも、すぐに回復を祈るメッセージをツイッターに投じた。
これに呼応するように世界中のサッカー選手やファンらが、ムアンバに「生きろ!」と声援を送ったのだ。
<PRAY 4 MUAMBA>
翌日のFAカップ準々決勝「チェルシー対レスター・シティー」では、1月までボルトンで主将を務めていたチェルシーのDFガリー・ケーヒルが先制点を決めた直後、ユニホームの下に着たシャツのメッセージを見せた。
「PRAY 4 MUAMBA (ムアンバのために祈る)」
こうしたユニホームを脱ぐ動作は通常イエローカードの対象になるが、プロバート主審は何らカードを出さなかった。
ムアンバ支援の輪は欧州中に広がり、各試合の前、選手たちは「GET WELL SOON MUAMBA」(すぐによくなれ、ムアンバ)「FABRICE!!! WE ARE BEHIND YOU」(ファブリス、あなたを支える)といったメッセージの書かれたシャツを着用。
試合前には観客とともに応援の拍手を送った。
<驚異的な回復力>
もうひとつの奇跡は、合計78分間も「死亡状態」にあったにも関わらず、一命を取り留めたムアンバの驚異的な生命力である。
ボルトンのチームドクター、ジョナサン・トビン医師は「ファブリスは倒れてから48分間と、さらに30分間は事実上、死亡していた」と言っている。
試合の2日後に昏睡状態から醒めると、「一流のサッカー選手だそうですね?」という医師の問い掛けに、「努力はしています」と笑顔と謙虚さでみんなに愛される23歳らしいユーモアで答えた。
<なぜ生き返ることができたのか?>
これは倒れてすぐに医師や救急隊が駆けつけ、懸命に蘇生を試みた初期の救命措置が迅速で適切だったからに他ならない。
その蘇生は、サッカーの現場のみならず、医療の現場でも「奇跡」と言われている。
奇跡の裏に、然るべき処置が迅速に行われた現実があることは間違いない。
<完璧な応急処置>
ムアンバが倒れてから10分間、ピッチ上では、ボルトンのチームドクターによる人工呼吸はもちろん、スタジアム装備の除細動器による電気ショックも2度試みられた。それでも心臓が動かなかったムアンバは、担架の上で継続的な心臓マッサージと更に一度の電気ショックを施され、転倒から48分後には救急車でロンドン・チェスト病院に到着した。
トビン医師は「合計で15回、AEDで電気ショックを与えた。ピッチで2回、トンネル(スタジアムの控室近く)で1回。さらに揺れ動く救急車のなかで12回行った」と振り返る。
しかし、それでも呼吸も心臓も戻らない最悪の事態に、救急車に同乗していたディーナー医局長も「救命措置として万策尽きた。蘇生する可能性は少ない」と思ったと振り返っている。
約12キロ離れたロンドン・チェスト病院へ到着後、ディーナー医局長は「直ちに肩の下側を切開し、静脈から血液をかき出し、動脈にショックを与えながら、薬を投与した」と病院での処置について説明した。
その30分後に蘇生に至った訳だが、ムアンバ生還のキーポイントとなった応急処置は、病院側が「医学生に見本として紹介したい」と感心するほどのレベルだった。
次は、この「奇跡」に繋がった過去の苦い経験について触れてみます。
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