日ハム王国物語 (その2)大沢親分

  • Miya
    2007年10月25日 01:32 visibility1750


面倒をみてた長島がよー、土下座して「とにかく南海には行けなくなった。すいません!」と涙ぼろぼろ流しながら詫びるんだよなー、困っちゃったよなー。「とにかく巨人に行くことになったから!そういうことだから!」だってさ。立教の学生で本当なら腹減らしてるところに俺が球団から預かった栄養費をさんざん渡してたのにさぁー。

 

これは明大の栄養費男・一場君(現・楽天)のことではなく、あの長島茂雄の逸話である。

当時立教のスター選手であった長島を囲い込むために先輩に当たる南海の大沢は大金を渡して生活の面倒をみていた。

ところが土壇場になって長島は裏切り、突然巨人に行くと言い出した。

 

そんなプロ野球の歴史を変えた瞬間?に大沢啓二は携わっている。

 

村田兆治はその頃あちこちに女がいてな、ちょうど覚えたてで無我夢中になってた。もう穴があったら入りたい!ってなもんよ。 今夜あっちの女としけこんだかと思うと、明日はまた別の女と寝てる始末でちっとも野球に身が入らない。こいつは俺も呆れ果てたね。オイ!いい加減にしろよオマエってな。

 

大沢は現役引退後、ロッテのコーチ、二軍監督も務めている。

何でもいいけど、球界広しといえどこんなことをバンバン言える人物といえば大沢啓二以外にいない。

それだけのエピソードですが。(笑

 

こんな豪放な大沢親分は合計11年間も日ハムの監督をしていた。

野球をこよなく愛した大社義規オーナーとウマがあったのだろう。

親子のような名コンビだった。

 

81年優勝を果たしたが、それが監督としては頂点。

ラストの94年は最下位に沈んでファンに土下座する。

 

その後は球団常務としてフロント運営に尽力した。

高田繁、近藤貞雄、土橋正幸らの監督招聘に辣腕を振るう。

 

日ハムがまだ弱いけどユニークな球団として頑張っていた時代である。

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