「同志社人訪問 ~宮本慎也さんに聞く~(上)」

  • ジョン
    2014年02月18日 16:12 visibility504

昨日、同志社大学の合格発表がありまして、なんとか合格する事ができました。発表ののち、速達で書類等々が届きました。その中に同封されていた新入生歓迎号なるパンフレットの中に、1994年に同志社大学の商学部を卒業された元東京ヤクルトスワローズ内野手の宮本氏のインタビューが載っていましたので、内容を掲載させていただきます。多くのメディアを通じて、既に多くの内容は既出のものとなっておりますが、御承知の程をよろしくお願い致します。

これは引退前のインタビュー、とのことです。


(インタビュアー:以下イ 宮本氏:以下宮)


イ:2012年に41歳5カ月での2000本安打達成おめでとうございます。そのヒットの感触は覚えていらっしゃいますか。

宮:抜けていったのはわかりました。でも、私自身の気持ちとしては嬉しさよりホッとした感じが強かったです。記録を前にちょっと足踏みしていましたし、達成時期も遅かったと自分の中では思っていますので。覚えているという意味では、2000本目よりプロ初安打の方が鮮明ですね。


イ:宮本さんは守備力を高く評価される選手のイメージが強いのですが、バッティングで心掛けてこられた事はあるのでしょうか?

宮:右方向に打つ、バントを決める、ピッチャーに少しでも多く球数を投げさせる…そういうチームの為になるバッティングを心掛けてきました。もちろんヒットを打ちたいという気持ちはありますが、それよりも自分の役割を全うしようという考えの方が強いですね。


イ:阪神の金本選手など、同年代の選手が昨シーズンで引退しましたが、その中で宮本さんは現役続行という選択をされました。やはり現役への拘りは強くお持ちなのでしょうか?

宮:もちろん1日でも長くプロで選手生活を送れればいいと思うのですが、実は昨年、1度辞める気持ちになったんです。


イ:それはどういうことで。

宮:夏場にケガをしたんです。突発性ではなく疲労性のものだったので、自分の中で「そろそろ限界かな」という気持ちになった。また、ちょうどシーズンの順位が決まってくる大事な時期と重なってしまったので、そこ1ヶ月休むことが自分の中でも許せなかったのです。球団には一旦「辞めます」と話をしましたが、私がプロ入りした時の担当スカウトだった小川淳司監督に「もう1年残ってほしい」という言葉をいただき、「監督の為に頑張ろう」という決意で続けることにしました。


イ:私の家族はヤクルトファンなので、現役続行のニュースをお聞きして嬉しかったです。これまでのプロ生活で特に思い出に残っているプレーはありますか。

宮:強烈に残っているというのはあまりないんですよね。強いて言えば、代打でプロ初出場した時でしょうか。ピッチャーはまだ現役でプレーされている中日の山本昌さん。すごく足が震えて、キャッチャーに気づかれてしまうのではないかというくらいに緊張して打席に立った事を覚えています。


(下)へ続く…

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