☆甲子園球場が使用されていたのに、甲子園で試合をしていない甲子園出場校を甲子園の舞台に立たせよう計画

 

 

1958年(昭和33年)の夏の大会は、第40回の記念して各都道府県から1校ずつ、計47代表の大会となった。 

参加校が増えたため、3回戦までは甲子園球場と西宮球場を併用した。
西宮球場が使用されたのは、1回戦15試合中6試合、2回戦16試合中8試合、3回戦8試合中3試合であった。

この大会に春夏通じての初出場校は以下の15校。

青森県 東奥義塾
栃木県 作新学院
富山県 魚津
山梨県 甲府商
三重県 松阪商
滋賀県 甲賀
兵庫県 姫路南
島根県 益田産
岡山県 倉敷商
広島県 尾道商
愛媛県 八幡浜
福岡県 八女
長崎県 長崎南山
宮崎県 大淀
沖縄 首里

そのうち甲子園で試合ができずに去っていった学校は、東奥義塾、八幡浜、甲賀(現・水口)、尾道商の4校であった。

1回戦
高知商 6-1 東奥義塾(西宮)
清水東 3-0 八幡浜(西宮)
尾道商 3-2 福島商(西宮)

2回戦
銚子商 5-0 甲賀(西宮)
海南 6-4 尾道商(延長14回)(西宮)

その後、東奥義塾は1963年第45回夏の大会で(記念大会の3回戦でやっと)、八幡浜は2004年第76回春の大会で、尾道商は1964年第36回春の大会で、甲賀は1968年第40回春の大会で甲子園の舞台に立った。



1963年(昭和38年)の夏の大会は、第45回の記念として南北北海道と各都府県から1校ずつ、計48代表の大会となった。
この大会も、3回戦までは甲子園球場と西宮球場を併用した。
西宮球場が使用されたのは、1回戦16試合中6試合、2回戦16試合中8試合、3回戦8試合中4試合であった。

この大会に春夏通じての初出場校は以下の16校。

北北海道 釧路商
岩手県 花巻北
宮城県 仙台育英
秋田県 能代
山形県 日大山形
福島県 磐城
茨城県 水戸工
神奈川県 横浜
岐阜県 大垣商
三重県 相可
滋賀県 長浜北
鳥取県 米子南
佐賀県 武雄
熊本県 九州学院
宮崎県 宮崎商
鹿児島県 鹿児島

そのうち甲子園で試合ができずに、去っていった学校は、武雄、水戸工、長浜北、花巻北、日大山形、能代の6校であった。

1回戦
甲府商 10-2 武雄(西宮)
岡山東商 2-1 水戸工(西宮)
能代 12-1 長浜北(西宮)

2回戦
広陵 3-0 花巻北(西宮)
首里 4-3 日大山形(西宮)
岡山東商 5-1 能代(西宮)

その後、長浜北は1983年第55回春の大会で、花巻北は1966年第48回夏の大会で、日大山形は1968年第50回夏の大会で、能代は1977年第59回夏の大会で甲子園の舞台に立った。
しかし、武雄と水戸工はその後の甲子園出場がない。


甲子園球場は全国中等学校優勝野球大会の開催を主たる目的に建設され、1924年(大正13年)の第10回全国中等学校優勝野球大会から使用されるようになった。
しかし、甲子園球場が使用された大会にも関わらず、甲子園で試合をしていない甲子園出場校は、全国で武雄(佐賀)と水戸工(茨城)の2校である。



先程、高野連と朝日新聞社に電話をし、95回夏の記念大会の始球式で半世紀ぶりにこの2校を出場させるよう提案したことは内緒です。





以上です。

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