import_contacts 「甲子園で試合をしていない甲子園出場校」に関するブログ
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豊国学園は福岡県北九州市門司区に所在し、1912年(明治45年)に豊国中学として創立された。その後、1964年 (昭和39年)に門司工業と改称、1981年(昭和56年)に再度校名を豊国学園へ改称した。 野球部は1914年(大正3年)に創部され、福岡県内では修猷館、明善、育徳館、久留米商、東筑、伝習館、福翔、嘉穂、小倉、八女、福岡工に次ぐ歴史を有する。夏の全国大会予選には、1915年(大正4年)の記...
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(Gが学習院、Tが筑波大附属) 宮内庁は16日、秋篠宮家の長男、悠仁親王が4月から筑波大附属高校に進学されると発表した。現在通われているお茶の水女子大附属中学に併設されている同附属高校は女子校のため、進学先が注目されていた。皇族が学習院以外の高校に進学するのは戦後初めて。 お茶の水女子大学と筑波大学は2016年に双方の施設や教育・研究機能などを共有する協定を締結しており、附属学校でも相互に生徒を受...
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1963年(昭和38年)夏の選手権大会は、第45回の記念大会として南北北海道と各都府県から1校ずつ、計48代表での大会となった。参加校が増えたため第40回大会同様、3回戦までは甲子園球場と西宮球場が併用された。西宮球場が使用されたのは、1回戦16試合中6試合、2回戦16試合中8試合、3回戦8試合中4試合であった。この大会で春夏通じての初出場校は以下の16校であった。釧路商(北北海道)花巻北(岩手)...
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100回目の夏の大会が来る前に、伝統ある野球定期戦を観ておきたいと思い、学習院大学の野球部グランドに向け愛車のレクサスCT200hを走らせた。 観戦したかったのは、筑波大附属高校と学習院高等科の定期戦だ。 両校の定期戦は1896年(明治29年)の野球対抗戦が始まりで、現在は毎年6月の第一土曜日に学校行事として各運動部が競い合う総合定期戦までに発展を遂げている。T- G戦の歴史なら、阪神 - 巨人戦...
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1915年(大正4年)に第1回全国中等学校優勝野球大会が豊中グラウンドで行われた。豊中グラウンドは1913年に現在の阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が建設したものであるが、規模の小ささなどが問題になりすぐに他の会場探しが始まった。この当時は遠征費用が全て出場校持ちだったこともあり、会期を短縮して出場校の費用を軽減することも考慮された結果、複数のグラウンドを設置することも求められた。これに鳴尾運...
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第66回秋季関東地区高校野球大会は10月26日から茨城県で開催される。開催地からは3校(他県は2校)が関東大会に出場できる。茨城の三つ目の椅子を獲得したのは、水戸工業であった。水戸工業は26年ぶり2回目の秋季関東大会出場となる。 水戸工業は、1963年(昭和38年)第45回全国高校野球選手権大会に春夏通じて一度だけ甲子園出場を果たしている。過去にも記述しておりますが、第45回全国高校野球選手権大会...
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明日、4月2日は「国際子どもの本の日」である。デンマークの童話作H・C・アンデルセンの誕生日にちなみ、国際児童図書評議会(IBBY)などが制定した。読書は読解力や識字のトレーニング的役割のみならず、知識や視野を広げ、好奇心、創造力、思考力を育む機会となる。 平成17年度から平成22年度まで、図書館の個人貸出数全国1位を達成した都道府県といえば、岡山県である。 その岡山県内で初めて甲子園出場を成し遂...
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第94回全国高校野球茨城県大会の会場は、水戸市民球場、土浦市営球場、日立市民球場、笠間市民球場、常陸大宮市民球場の5会場が使用されている。こうみえて茨城は参加校が100校を超えており、大会の序盤は5会場くらい使用しないと日程の消化が追いつかないのであろう。5会場の中で、常陸大宮市民球場が夏の大会で使用されるのは今回が初めてのようだ。一昨年までは、ひたちなか市民球場がメイン会場として使用されていたが...
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1924年(大正13年)に甲子園球場が完成してから今年で88年というではないか。人間でいえば米寿を迎えたことになる。甲子園球場は全国中等学校優勝野球大会の開催を主たる目的として建設され、第10回全国中等学校優勝野球大会から現在まで使用されている。初の甲子園開催となった第10回大会で優勝を果たしたのは広島商業。夏の大会においては、実業学校として初めて、また兵庫県より西の学校として初めての全国制覇であ...
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☆甲子園球場が使用されていたのに、甲子園で試合をしていない甲子園出場校を甲子園の舞台に立たせよう計画 http://labola.jp/diary/10122410 この日記の続きです。 夏の甲子園で、予選皆勤校の入場行進や夏の第一回大会出場以降甲子園出場のない高校の主将の始球式などの企画をしているのは主催している朝日新聞社とのことで、朝日新聞東京本社に電話をしてみた。 すると、お客様相談室とやら...
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1958年(昭和33年)の夏の大会は、第40回の記念して各都道府県から1校ずつ、計47代表の大会となった。 参加校が増えたため、3回戦までは甲子園球場と西宮球場を併用した。 西宮球場が使用されたのは、1回戦15試合中6試合、2回戦16試合中8試合、3回戦8試合中3試合であった。 この大会に春夏通じての初出場校は以下の15校。 青森県 東奥義塾 栃木県 作新学院 富山県 魚津 山梨県 甲府商 三重県...
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今でこそ、「高校野球=甲子園」というイメージが定着しております。 しかし、夏の第1回大会(1915年・大正4年)~第9回大会(1923年・大正12年)までは甲子園球場がなく、豊中球場や鳴尾球場で開催されていました。 また、第28回大会(1946年・昭和21年)は甲子園球場が米軍に接収されていたために西宮球場が、第40回大会(1958年・昭和33年)、45回大会(1963年・昭和38年)は記念大会で...
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