☆LaBOLAリニューアル前に④~甲子園で試合をしていない15校~

 


1915年(大正4年)に第1回全国中等学校優勝野球大会が豊中グラウンドで行われた。豊中グラウンドは1913年に現在の阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が建設したものであるが、規模の小ささなどが問題になりすぐに他の会場探しが始まった。
この当時は遠征費用が全て出場校持ちだったこともあり、会期を短縮して出場校の費用を軽減することも考慮された結果、複数のグラウンドを設置することも求められた。これに鳴尾運動場を所有していた阪神電気鉄道が応え、場内に野球用グラウンドを2面設置することで1917年の第3回大会から会場が移された。しかし、学生野球が人気になるにつれ観客が増加。1923年の第9回大会では溢れた観客がグラウンドになだれ込む事件が発生する。さらにグラウンドの水はけの悪さもあって、主催者の大阪朝日新聞は、本格的な野球場の建設を提案する。
鳴尾球場を所有していた阪神電鉄は、鳴尾村に流れていた申川と枝川(武庫川の支流)を廃川とした後にできた埋め立て地に大規模な沿線開発を行っており、当時阪神電鉄の専務だった三崎省三の構想もあり、旧枝川・旧申川の分流点あたりに野球場を建設する計画を立てていたことから、利害が一致する。ニューヨーク・ジャイアンツのホームグラウンドのポロ・グラウンズを参考に球場を大会に間に合わせるため突貫工事で建設。1924年8月1日に完成。この年が十干十二支の最初の年である甲子年(きのえねのとし)という60年に1度の縁起の良い年であることから、甲子園大運動場と命名された。同年第10回大会から使用を開始。
1946年の第28回大会はGHQに甲子園を接収されていたため、阪急西宮球場で行う。さらに出場校を大幅に増やした第40回記念大会の1958年と第45回記念大会の1963年も甲子園球場と西宮球場を併用して使用するものの、不公平として評判が良くなかったため(甲子園で試合できず敗退した学校からは苦情があった)、これ以降は一貫して甲子園で行われるようになった。
このような経緯を踏まえたうえで、LaBOLAリニューアル前に甲子園で試合をしていない15校を再度記述しておきたい。(※師範学校は除く)


広島国泰寺(広島)
→第1回夏の大会のみ出場(豊中グランドで開催) ⇒開幕試合に登場しているので全国大会から一番遠ざかっている ※第91回夏の大会で主将が始球式を行う→甲子園経験?

宇治山田(三重)
→第1回夏の大会のみ出場(豊中グランドで開催) ※第91回夏の大会で主将が入場行進先導を行う→甲子園経験?

洛北(京都)
→第3回夏の大会のみ出場(鳴尾球場で開催)

岡山朝日(岡山)
→第7回夏の大会のみ出場(鳴尾球場で開催)
http://m.labola.jp/diary/24418023

明和(愛知)
→第7回夏の大会のみ出場(鳴尾球場で開催)

神戸商(兵庫)
→第8回夏の大会のみ出場(鳴尾球場で開催)

名古屋商(愛知)
→第8回夏の大会のみ出場(鳴尾球場で開催)

函館商(北海道)
→第9回夏の大会のみ出場(鳴尾球場で開催)

明善(福岡)
→第2回夏の大会出場(豊中グランドで開催 ※敗者復活制度があり一大会で2敗を経験)、第4回夏の大会出場(鳴尾球場で開催予定だったが米騒動で中止)⇒不運?が重なる
http://m.labola.jp/diary/13882487

豊国学園(福岡)
→第6回夏の大会出場(鳴尾球場で開催)、第7回夏の大会出場(鳴尾球場で開催)

函館中部(北海道)
→第7回夏の大会出場(鳴尾球場で開催)、第28回夏の大会出場(甲子園球場が米軍に接収され西宮球場で開催)

筑波大付属(東京)
→第28回夏の大会のみ出場(甲子園球場が米軍に接収され西宮球場で開催)
http://labola.jp/diary/9681037

沼津東(静岡)
→第28回夏の大会のみ出場(甲子園球場が米軍に接収され西宮球場で開催)

武雄(佐賀)
→第45回夏の記念大会のみ出場(記念大会で参加校が増え3回戦まで甲子園球場と西宮球場を併用。抽選の結果西宮球場で試合を行い初戦敗退)

水戸工(茨城)
→第45回夏の記念大会のみ出場(記念大会で参加校が増え3回戦まで甲子園球場と西宮球場を併用。抽選の結果西宮球場で試合を行い初戦敗退)
http://m.labola.jp/diary/19582061


夏の第100回大会までにこの15校が、甲子園で入場行進だけでもできるよう、朝日側に継続提案中である事は内緒です(笑)





以上です。

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