☆全国中等学校野球史(30)~和歌山~

和歌山県に野球が伝わったのは明治30年で、和歌山中(桐蔭)に赴任した坂口昴、香川直勝の両教師によって指導されたといわれている。明治32年には、大阪の岸和田中、桃山中と試合をした記録がある。
続いて、明治36年には田辺中(田辺)、明治38年には耐久中(耐久)、大正2年には高野山中(高野山)で創部された。
大正4年の第1回全国中等学校優勝野球大会の予選は、大阪・奈良との関西予選に入り、和歌山中、高野山中、耐久中の3校が参加した。そして、記念の第1回全国大会には和歌山中が出場した。尚、和歌山中はその後1度も欠かすことなく予選に参加し続けている。
大正5年の第2回大会予選から大阪が抜け、奈良と紀和大会予選を開催することとなった。
当時の和歌山中は圧倒的な強さを誇り、昭和3年の第14回大会までは他校に代表の座を譲ることはなかった。


初代表校
和歌山中(大正4年夏)(現・桐蔭)

初勝利校
和歌山中(大正4年夏)(現・桐蔭)

最高成績
優勝

春夏通算成績
213勝174敗3分

最多勝利校
智弁和歌山 56勝





以上です。

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