防府商業 井神国彦

頂点に立てなかった男(防府商業 井神 国彦)

『光陰矢の如し』月日の経つのは早いものである。

1974年春防府商業は前年度の秋季大会で勝ち上がりそれが評価され第46回選抜大会に出場した。

防府商業としては選抜大会3回目の出場。

主将の重田初め井神は自信に満ちていた。

防府商業は組合にも恵まれ2回戦より登場。相手は函館有斗を4-2で破った池田高校。

選抜初出場池田高校、経験値では我々の方が上だなぁと思っていたはずである。

しかし、試合開始

池田のエース山本に翻弄され、1-3とあっさり敗れてしまう。

監督の末富は『完敗でした!』ときっぱりと負けを認めた。

同年夏の山口県大会春選抜のリベンジとばかりに、頑張り勝ち上がる。西中国大会出場をかけた宇部工業戦6-0と井神の力投で完封。

西中国大会も浜田を1-0で完封。

そして甲子園代表決定戦では大田に苦戦したが延長10回粘って4-2で勝利、念願の選手権大会初出場を果たした。

防府商業ナインは第56回選手権大会に万全の態勢で臨んだ。

ニ回戦 延岡7-0

三回戦 福岡第一 10-3

準々決勝 郡山 6-3

と勝ち上がる。

準決勝は定岡正二のいる鹿児島実業。

大方の予想は鹿児島実業優位は動かなかった。私もそう思っていた。『決勝戦は土屋🆚定岡の投げ合いか?』と。

試合は何となく重い空気で進んで行く。そんな中3回表ランナーで出塁した定岡が本塁突入時に右腕を負傷してしまった。

その後リリーフしたアンダースローの堂園一広(2年生)が好投した。井神も直球、カーブ、シュートが冴えた。

1-1と試合は硬直していた。

試合の幕切れは呆気なかった。

9回裏重田主将が左翼越二塁打を放ちた、その次打者西村への2球目、堂園はリードが少し大きくなった2塁へ牽制球を投げた!。

それが大きくセンター方向にズレ、バッツアップしたセンター森元の手前で少しイレギュラーした、いや私にはイレギュラーした様に見えたのだ、ボールは転々と転がり、2塁から重田主将が歓喜のサヨナラのホームを踏んだ。

重田主将はインタビューで『毎日、毎日試合のたびに今日は帰る日になるのかなぁ?とグランドに入った』と言っていた。

翌日の決勝戦、甲子園は快晴だった。

相手は、この大会付け入る隙がない銚子商業。

エース土屋の超高校級の投球内容と黒潮打線の迫力満点の攻撃。

しかし、井神は決勝戦のマウンドに立てるだけで幸せだったのかも知れない。

前半こそ、スコアーボードに0に並べたが6回裏失策から黒潮打線が爆発一挙6点を奪われてしまう。

井神は7回途中からマウンドをリリーフの小田に譲った。

やはり頂点に立つには、『運』だけでは駄目なのだ。

しかし井神初め防府商業ナインは満足感で一杯だった。

何故なら全国でこの夏一番最後まで試合が出来たからで有る。

昨年7月6日『銚子商業 優勝 50周年イベント』が銚子市商工会議所で行われた。

そこにゲストとして、エースの井神氏、リリーフした小田氏が特別ゲストとして参列されていた。

井神氏はあれから50年経っても相変わらずイケメンだった。

☆第56回夏の甲子園(朝日グラフ)より写真引用。

 

 

 

 

 

 

 

 (篠さんの右が井神氏かな?、後列の左端が木樽さん)

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