静岡高校(秋本 昌宏)

頂点に立てなかった男(静岡高校 秋本昌宏)
1973年の高校野球界は一人の怪物の存在でざわついていた。
この男規格外、50年に1人の逸材と言われた、普通の高校生ではバットに当てるのも難しい投手、万が一にも当たっても前には飛ばない、あっ!高いとボールだと見送っても途中からホップしてストライク、しかも軽く投げてで有る。

作新学院の江川卓は怪物だった。だからこそチーム内では浮いていたと言われていた。作新学院は江川の力をは最高だが、打撃、チームワークに難があったのかも知れない。

そんな江川は二回戦で雨の中銚子商業の持久戦に持ち込まれ、途中から降り出した雨も有り、延長で押し出しで早々に甲子園を後にした。

そんな中静岡高校に秋本昌宏という2年生エースがいた。
しかし、静岡高校は投手力と言うよりは豪打を売物にしていた。

切込隊長の永島(慶應義塾)そしてクリーンアップは植松(法政)、水野(法政中退)、白鳥(早稲田)と重厚な厚みある打線。3回戦では天理の佐藤清を滅多打ち、準決勝では四国NO1の好投手矢野まで攻略した。

その破壊力ある打撃とは別にエース秋本は淡々と投げていた。
右オーバーハンドのオーソドックスな投球。凄い剛球は無いが、内角、外角を一杯に使い、相手の打ち気を逸らすカーブを有効に使った。

長崎海星、天理を連続完封、銚子商業戦は始めて苦戦したが5-3と退け、準決勝の今治西も1年遠藤のをリリーフで使う余裕も見せ6-0と零封した。

秋本からすれば『豪打の静岡』も言われるのが少しばかり悔しかったのではないだろうか?。投の俺だって頑張って居るんだと。

決勝戦は広島商業とだった。
初回に失策絡みで2点を失ったが、6回表自らの3塁打でまずは1点、8回には植松の3塁打で2-2の同点に追いついた。

秋本は絶対に同点に追いつけると信じて2〜8回迄広島商業の攻撃をゼロに抑え込んた。秋本の意地で有る(豪打だけじゃない投手力だって!)。

しかし、9回不運な内野安打と四球2個で一死満塁をピンチを招いた。ここで代打大利裕二だったが秋本は冷静だった大利を2-2と追い込んだ。

『よしこれで抑えればツーアウト!、ピンチの後はチャンスや』と思っていたかも知れない。しかしここで策士の迫田監督が大胆なサインを出す。

満塁、しかもカウント2-2、『スクイズなんてねえだろー』と思う裏をかき、スクイズを出す。3塁ランナー楠原が走る、大利が3塁寄りに転がす。

三塁手の永島、投手秋本が猛然とダッシュ。水野が叫ぶ『あっ!スクイズだ!』、砂煙を上げて楠原がヘッドスライディングで生還。

秋本はその時時間が止まった様に感じた。

主審郷司さんの腕が横に広がる。『セーフ、セーフ!』

激闘の幕は降りた。

次年度の1974年の静岡大会にも静岡高校は優勝候補の一角として出場したが、二回戦で伏兵佐久間高校に0-2と破れ秋本昌宏の高校最後の夏は終わった。

秋本はその後亜細亜大学に進んだが野球を継続したのかどうか?は私はわからない。

1926年(大正15年)以来の静岡高校の優勝を見れるかと思ったが、
秋本昌宏は残念ながら頂点の景色を見ることは出来なかった。

☆SNSより写真を引用。

 

 

 

 

 

 

 

 

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