25年以上?振りのこと 前半の巻

昨日は草野球仲間の知人U川氏のお誘いを受けて

早朝野球に参加してきた[d227]

平日の午前6時~7時半までの限られた時間で草野球をする

大抵が自営業の方が昔(私が参加していた当時)は多かった

 

因みに当時私が早朝平日草野球をするきっかけは

大学2年生の時に

テニスサークル恒例のスタジアムジャンバー(袖が革のタイプ)を買うことになり

オリジナル作成で5万円をどう工面するか考えていたら、丁度

近所の寿司屋で女将さん(店主奥さん)

が怪我をしてスポットでバイトを探していると聞き

手伝いをすることになった

 

当時の私は車(AE86トレノ APEX 赤黒)をいつも家の前で洗車したり

テニスの素振りをした と頻繁に家の前の道に居たのだった(笑)

 

今更ながら考えてみると、何故バイトなんかしてジャンパーを買うことにしたのだろうか?

当時も父親は普通に勤務医だったけど外科医だったので

相当貰っていた筈だ

大蔵省(亡き母)におねだりすればよかった

やっぱり当時も今も 父親は苦手 だったと思う

え?大学生なんだからサークルジャンパー代くらい自分で稼ぐの当たり前だろうって?

しない方がよかったの理由は下記を読んでね

 

 

歩いて1分程度の激近のお寿司屋さんのバイトは

平日の夕方~夜

土日の夕方~夜

精力的にバイト(手伝い)をした

時給は普通(700円~800円???)だったが

なによりも

高確率で余ったネタでお寿司がもらえた

週3で入ると流石にあきるので

一人暮らしの友人に手土産で持って行ったりしていた

そこで実は

寿司屋の大将が監督で早朝野球チームが存在していたのだった

当然、元高校球児の私は

最年少選手として自動的に参加することになった

納会、会合は全てバイト先の寿司屋であったので

手伝いながら会費0円でお寿司を食べていた

でも

何故か?

余った茶碗蒸しばかりを食べさせられた思い出深い(笑)のだ

茶碗蒸しが元々好きじゃなかったのでいつも断っていたのだ

 

誘われて参加することになった

早朝平日野球は往復の運転手付きだった

近所の酒屋の斉藤君(一つ上)が試合の日は午前5時半にクラウンで迎えに来てくれた

最年少・・・か・・・素晴らしい響きだね

斉藤君も私と一つしか変わらないのに。。。

エースは小6時の担任だった吉武先生だった

コントロール◎

間がよかったし、カーブもよく曲がっていた

お寿司屋さんチームの投打の中心だった

私は3番キャッチャーで先生の球を受けていた

先生は早朝野球が終わると学校へ直行だった

数年前に無料化された富士見川越有料(R254の一部)を使って

某K越市から来ていたので

往路は料金所回避ルート、復路は200円の通行料を支払っていた(とお聞きした)

 

いい時間は長くは続かないのが世の常だ

 

そのうちに毎週土日夕方~の

大学生にとっては一番付加価値の高い時間限定アルバイトが嫌になり

辞めるに至った

後日談があって、こちらの都合(土日のバイト時間も3時間程度:一番おいしい時間帯の拘束辛かった:同感してもらえますよね?)で辞めたら

Aサヒ寿司屋の店主(=大将)は、相当気に食わなかったらしくて

バイトを辞めた途端に

近所で会っても目も合わせないし、挨拶もしない(私から元々していたが・・・)

近所の人々には悪口を言って回る

『あ~あいつ(oshimaのこと)は駄目だ~』

実際に何にも人から聞いたし

一番笑ったのは

越境入学して都内の公立中学校(名門 高田中学→現地 千登勢橋中学?)

~新設の進学高校~(高校で頭が進化しなくなったらしい)

~東洋大学法学部経営法学科に在学中の私oshimaよりも

中学校でグレて、地元の誰でも入れるF高校を1年で中退し、

て型枠大工をしている

(今もしているので、今になって考えてみると寿司屋のおやじの意見は正しい[d223])

《弟の方がよっぽどいい人間だ》

とも言って回っていた(^^ゞ

 

人付き合いの難しさ

辞めることの難しさ

を経験した筈なのに???すっかり風化していた

書かないと忘れる

 

といつものように

行が長い~私

本題は昨日25年振りに早朝平日草野球の助っ人に参加した時の話なのに・・・

 

長くなってきたので

次回に続く

 

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