ONE FOR ALL は自分も含むんだよ。
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園部啓之(べその)
2011年02月11日 01:37 visibility136
現在 手術後の痛みのピークに達している。
メスで切られた肉が痛み、二本のスクリューを入れた骨が軋み 腕を心臓より下に下げると内側から破裂するのではないかと思う程 鬱血している。
今から20年前 左膝をバイク事故で複雑骨折した時も 三本 ボルトを入れる手術をした。
その時も 夜中に叫びたい程の痛みを、一晩中タバコを吸いながら我慢していた事を今でも鮮明に覚えている。
手術は痛い。
確かにそうだがもっと痛いのは 野球を出来ないと言う「時間の損失」である。
これは 自分の練習やプレーが出来ない事による、「上達や楽しみの妨げ」と仲間に迷惑をかけてしまう、「仲間の野球への妨げ」がある。
自分だけの問題では決して無いのである。
自分だけが苦しいならば、まだ問題は軽いであろうが、大切な仲間にかける心配や迷惑は、自分の傷よりも痛いものである。
そう思いながら、普段から気をつけていても、人間とは不完全であるから、不慮の事態は起こりえる。
特に今回 私の骨折は 練習中のノックの捕球ミスによるもので、ちゃんと捕球の基本の形を知り、身体も温まってたなら違う結果だったかも知れない。
こういった「怪我のもと」を未然に防ぐには やはり「怪我をしない準備」と 間違った怪我をしそうなプレーをしている仲間には 勇気を持って 間違いを指摘してあげる「思いやりの指導」ではないだろうか。
私が怪我をする前に仲間が華麗にノックを捌くのを見て、「俺も!」と ただ 真似して 同じノックを受けて、たった三球目で指に打球を受けた。
もちろん 仲間がノックを受けてる間は ただ静かに見とれてただけだから、身体も冷えていた筈だ。
だからこの時、私は仲間に ちゃんと捕球の基本を教わり、怪我に気をつけてノックを受けるべきであった筈だ。
それに もし自分が「ちゃんとした捕球」を知っていたなら、仲間がそういう間違った捕球してたなら「危ないからこうしなさい。」と教える事も出来るであろう。
たらればではあるが、そう思うのである。
今回 私は 自分の骨折をもって、大きな教訓を得ることができた。
あとは この日記を読んだ方々が 私の失敗を自分の教訓として頂き、素晴らしい仲間との野球を、怪我無く楽しむ為に役立たせてくれればありがたいものである。
野球は独りでは楽しめない。
だが 欠けてはいけない人の中に貴方も居る事を忘れないで欲しい。
そう 真に願うのである。
またもや なんちて。[s421]
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