ゲバラのフラッグについて

  • viva
    2009年02月07日 06:48 visibility294


アルゼンチンのチェゲバラミュージアム..



ボリビアに行きたかった理由は映画で見た明日に向かって撃ての最後の地がボリビア..そして最大の理由はチェゲバラがここで亡くなったということだ..そのボリビアの地は侵略者のスペイン人達にすでに毒されてしまっていた..腐敗.陰謀侵略者達の悪しき習慣が蔓延していた..
もちろんボリビアにはすばらしいところもたくさんあります..人々は長いスペイン人たちの支配で革命と言うことも良く知らなかったのかもしれません..ボリビア建国以来はじめて先住民の大統領エボモラレスになった..この時期にチェが生きていればと思うのは私だけだろうか..
世界で一番プリントされて売られたTシャッがチェのアイコンだと言う自分としては彼のTシャッを着て街を歩く気にはなれない..
Jのあるチームは良く彼の肖像画をフラッグとして使っているのだが勝利を願うものではあるがその意味は「人間による人間の収奪をなくすこと」 その為には勝利か死と言っているのです..
 その裏返しとして世界の不正に対する燃えるような憎悪がありました.. そしてそのような人々の連帯を彼は考えていたようです.. 「世の中で不正が行われるたび怒りに打ち震えるという人はわれわれの同志だ」という言葉.. 「医者は白い上着を着て、白い靴を履いて、病人から金を搾り取っている。だが、そういうことはするべきじゃないんだ。 ぼくは、いくら家庭的な事情でお金をほしいからといって、この日ごろの持論を破るわけにはいかない。 こんなアルバイトはよすよ。」
「少年の夢は見ることがその義務で、青年の夢は達成することがその義務だ」
ゲバラについてあまり知らない人にお勧めする方法
「チェ・ゲバラ伝」を読む
「28歳の革命」と「39歳別れの手紙」をまとめて鑑賞
「ゲバラ日記」を読む

エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナは、1928年6月14日、アルゼンチンに生まれます。チェというのは「ねえ君」という程度の意味の言葉で後につけられた愛称です..ボリビア革命闘争中彼は捕らえられそして処刑されます..1967年10月9日のことです.. 燦然たる光を放ちながら駆け抜けた40年弱の生涯でした..

自分の子供達に送った手紙
 「世界のどこかで何か不正が犯されたならば、いつでも強く感ずるようになりなさい。それが革命家の最上の特質なのです。」
















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