マラドーナの裏も描く伝記映画

  • viva
    2008年05月28日 06:51 visibility113

第61回カンヌ国際映画で20日に公開されたドキュメンタリー映画『Maradona by Kusturica』は、サッカーファンに「神」と崇められ、1986年のサッカーW杯でアルゼンチン代表を優勝に導いたディエゴ・マラドーナの半生を描いている。
ボスニアのエミール・クストリッツァ監督のこの作品は、マラドーナの成功のコインの裏側――引退後のアルコールと薬物中毒、激太りしていく姿――も描く。
1986年のW杯メキシコ大会・準々決勝、イングランド戦での後半開始直後の「神の手ゴール」(ゴール前にボールに手で触れたとされる)、続くディフェンダー「5人抜き」などの伝説が残るマラドーナに並ぶ選手は、彼以前に最高の選手とたたえられていたブラジルのペレ以外にいない。
しかし、マラドーナは問題行動も絶えなかった。
1984年からイタリアのクラブ、ナポリでプレーし、カルト的な人気を博していた1991年、コカインの陽性反応が出て15か月の出場停止処分を受けた。また1994年のW杯アメリカ大会では、ドーピング検査で禁止薬物エフェドリンが検出され、大会から追放されるなど、ドラッグ問題では繰り返し処分を受けた。
それでも故国アルゼンチンの人々にとっては、マラドーナは貧困街で育ち成功した「ピベ・デ・オロ(黄金の子)」だったし、今もそうあり続けている。
しかしドラッグにはまり、体重が増えるにつれ運命の歯車は狂い始めた。肥満問題では食事量コントロールのために胃のステープリング手術(胃の数か所を器具で止めて食事量を減らす)をするに至った。テレビ司会者として活躍する一方で、コカイン中毒とも闘ってきた。
21世紀を迎えようというころには、セレブの自信過剰さと著しい健康の衰えが影を強め、マラドーナの生活は激しく揺れるようになっていた。ついには2000年、ウルグアイのリゾート地プンタデルエスでドラッグ摂取による心臓発作で入院。
回復したマラドーナは療養のため、長年の友人であるフィデル・カストロが当時国家評議会議長を務め、また自らが尊敬するアルゼンチン出身の革命家、故チェ・ゲバラにゆかりのあるキューバへ向かった。
以後4年間、このカリブ海の共産主義国とアルゼンチンの間を行き来しながら、コカイン中毒と格闘した。2004年、再度心臓発作に見舞われ死のふちまで行くが、このときも治療のためキューバの首都ハバナへ向かった。
2007年3月に肝炎とアルコール依存症治療のためアルゼンチンの病院に戻るが、「アルコールやドラッグ問題は過去のものだ」などと発言しながらも入退院を繰り返す。
この時期からマラドーナは、カストロ前議長やベネズエラのウゴ・チャベス大統領など左派政権をたたえ、米国を冷笑する政治的発言を強めている。(c)AFP

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