Try Try Try 何だってやってみないとわかんない
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保育野郎
2024年01月04日 23:35 visibility51
こんばんは、タイトルは今の僕のパワーソングである、山内惠介さんの「イチカバチカ」の出だし。
Eテレのアニメ「はなかっぱ」のエンディングですわ(笑)
はい・・・
新年一発目の日記で何かにおわせていたので何があったか書きます。長文だしあまり楽しい内容ではないのでスルーしてくださって構いません。
ラボ友限定公開も考えましたが、ラボ会員までならセーフかな。
2021年この頃の僕の日記は読み返してもとにかく病んでいるのがわかります。
3歳児クラス担任でした。クラスは持ち上がりでしたが組んだ先生は変わりました。
この人・・・M先生としましょう。仕事がとにかく速いんですけど僕とは波長が合わなすぎました。速いのは構わないのですがパートという立場を通り越して煽ってくるので、とにかくマイペースでこそ自身の力を発揮する僕とは合わない合わない。
それで苦しくなり・・・園長から「組み合わせ変えるか?」と聞かれるほど。
でも僕はそれを断るんですね。クラスが上手く回らないのは常勤である僕の力不足だというのと、M先生を庇う意味で。しかしこれが間違っていた。
あともう一人。4歳児クラス担任のZ先生という大ベテランがいました。
はっきり言おう、僕はこの二人にいじめられていたのだと。
Z先生はやたら僕と5歳児クラス担任のK先生につらく当たってきていた。K先生はこの時副主任だったのだが。ところがK先生もK先生で「僕らに対する当たりがきつくないか」という話をしてもあまり取り合ってくれない。
念のため書きますと、僕はよほどのことがない限り人にそんな相談はしないのです。まあとにかく何が気に食わないのか連日ガミガミ言ってくるのでした。
そして体調を崩します。
最初は勤務時間を短くしてもらいましたがダメ、そして休職。復帰後はこのMとZに睨まれる日々(もはや敬称付けない)。主任とかも復帰後即フル回転してくれなきゃ困るみたいなことを言ってくる。
オレだって子どもたちのために頑張りたいけどどうしても無理なのよ!!そしてすぐに2度目の休職。
復帰は2022年3月。この頃来年度について聞かれ、パートとして働くことを決意。
与えられたポジションは遅番のリーダーだった。最初は耳を疑った。
遅番の時間というのは一番神経使うと言っても過言ではないのです。子どもたちは疲れているし、お迎え間近でソワソワ。事故も多い時間帯です。
病み上がりの人間には非常に堪えました。
ある雨の夕方、子どもたちの発散が足りずかなり騒がしい室内となりました。基本「幼児クラス全部を一人で見ろ」と言われている僕。その時同じ部屋で自分の仕事をしていたZ(何なら名前出したろか?)がこちらをチラチラ見ながら主任に何か話しかけている。
その後主任に「あの保育はなんだ?」と怒られる。
夕方落ち着かねーのは日中の発散が足りてねーからだろーーー!!こんなぐちゃぐちゃな中、怪我人(出なかったけど)出したくなかったら誰かヘルプで入れたらどうなんじゃーーー!!
とは言えない。
僕は翌日からまた仕事を休みがちになってしまう。この頃からMには挨拶しようが話しかけようが徹底的に無視をされるようになる。
これ、いじめだよね?
僕がおかしいだけ?(^_^;)
ちなみに遅番のリーダーは降ろされるのですが、なかなか大変な子が多いということで常勤2+パート(僕)の3名で夕方は保育することに。春先の一人で見ろはなんだったの・・・。
それでも復活の兆しはあった。夕方パートだから縁がないけど、園内が運動会モードになった時だ。
この時、人生で初めて血が騒ぐという経験をした。僕はクラスを行事モードに持っていくのが得意だったから(これは過去に主任にも言われてた)。
またここで常勤に戻りたい。クラスが持ちたい。
こう思うようになってからは不思議と体調が良く、休むこともなくなっていた。
10月に人事考課の面談で主任と話した時、常勤に戻りたいこととMに無視されていることを話した。
常勤に戻りたい件は主任という立場上何ともできないが、頑張れみたいなことは言われたかな。
Mの件は知っていた?のか「まだ無視してるんだ」というリアクションだった。
そして12月、園長に常勤に戻りたい旨を伝える。
返事は2~3週間後だったかな。
待っていたのは戦力外通告でした。常勤には戻せない、パートとしても残せない。
常勤はともかくパートとしてもは想定外でした。3月で辞めさせる気なのか。僕はモチベーションが保てなくなり、12月末で退職をしました。
新設保育園で最初は本当に楽しかった。今までの苦労はここで働くためだったんだ。本気でそう思ってました。僕もそれなりに貢献してきたという自負があった。あの頃の保育園はどこへいってしまったんだろう。
今思えば復帰直後に無茶な業務を与えられたことも、僕を辞めさせる作戦だったのかなと思います。園長は言っていた。「うちのような小さな人も少ない保育園ではフォローしきれない」と。
さて2023年。ドクターストップもあり本っ当に何もせず休んでいました。ストレスから解放され、今ではかなり元気です。
そして秋頃一つの方向性が見えました。それは「僕のような弱い保育士を一人でも多く救うこと」「そのために何かできないだろうか」
2024年、1月1日付けで本日開業届を出してきました。これからはフリーランス保育士として活動していきます。
安定しないかも知れない、仕事がないかも知れない、でもびびっていたら何もできない!!
やってやる!!の思いです。ダメもとでもっともっとイチカバチカ!!
果たして今年はどんな年になるのか。でも過去3年より悪いということはありえないでしょ。
頑張ります!!
余談ですが・・・
昨年12月ごろ、前職場園長からわけのわからないLINEが届きました。内容は「保育野郎先生は辞めなくていい人でした、救えなくてごめんなさい」といったもの(^_^;)
それと関係してんのかわかりませんが、今年前職場の職員からは誰からも年賀状などが来ませんでした(こっちも送ってないけど)。
いや闇を感じるでしょ!!
何とも不気味な気持ちになったのでした(苦笑)
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- 事務局に通報しました。
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