福島FC

天皇杯の季節になると、必ず思い出す試合があります。


 


エスパルスはこれまで、2つのチームの最後の対戦相手になっています。


横浜フリューゲルスと、その前年の天皇杯で対戦した福島FCです。


 


1997年、エスパルスは経営危機に陥りました。


運営会社が債務超過となり、チームが消滅するかもしれない状態。


サポーターは署名や募金活動をし、幸いなことに地元企業を引き受け先に


新会社を設立し、なんとかチームを存続することができました。


同じ年、同じような状況の中で、残念ながらチームを解散することになったのが


当時JFLに所属していた福島FC。


これは、日本でプロクラブが解散した初めてのケースでした。


 


前年の天皇杯ではジュビロ磐田を破ったこともあり、最後の天皇杯でも


1・2回戦を突破、3回戦でエスパルスと対戦しました。


試合は3-0。お互いに全力を尽くしてプレーをした結果です。


試合終了後、エスパルスサポーターから福島FCコールがおきます。


たまたま結果は違ったけれど、同じ境遇に置かれたもの同士


決して他人事ではありませんでしたから。


敗戦と、同時にチーム解散という2つの大きなショックを受けていながら


福島FCのサポーターも、コールを返してくれました。


 


福島FCの最後の相手に、同じような立場にたったエスパルスが「選ばれた」のは


もしサッカーの神様がいるんだとしたら、その神様の意思なんだろう。


そしたらエスパルスは、福島FCを愛した人たちから「最後の相手がエスパルスでよかった」


と思われるようなサッカーをするチームでいなければならない。


日本平でのエールの交換を見ながら、そんなことを感じていました。


 


翌年の横浜フリューゲルスのときは、所属していたカテゴリーの違いからか


メディアの扱いも全然違い、決勝戦ではまさに「日本中が敵」の状態。


「お前ら、空気読め」っぽい雰囲気が、国立競技場だけじゃなく


そこら中に充満していました。


 


ご存知の通りエスパルスは破れ、準優勝。しかし、フリューゲルスの代わりに


アジアカップウイナーズカップに出場します。そして、優勝。


エスパルスが勝ち続ける限り「優勝した横浜フリューゲルスの代わりに出場」と


フリューゲルスの名前が出続けることになる。フリューゲルスから引き継いだものは


久保山由清だけではなかったように思います。


 


フリューゲルスが消滅後、サポーターの有志が新たに横浜FCというチームを


立ち上げました。その際に、前年度に清水サポーターが経験したことが


さまざまな形で生かされています。


 


福島FCとの試合で感じた気持ちと、当時いただいた、できたばかりの横浜FCのステッカー。


天皇杯の季節になると必ず思い出す、決して忘れてはいけない気持ちと


大切な宝物です。

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