
ピックアップレジェンドサッカープレイヤー No.273
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K
2024年05月26日 23:58 visibility156
増田 卓也(ますだ たくや)
国籍 日本
生年月日 1989/6/29
出身地 広島県広島市安佐北区
身長/体重 184cm/84kg
ポジション GK
利き足 右
代表デビュー なし
主な出場大会 なし
プレースタイル
セービングやビルドアップ能力に優れており、また足元の技術が高いゴールキーパー。
経歴
幼稚園の頃からサッカーを始める。この頃はGKを経験しているが、中学までは主にフィールドプレーヤーとしてプレー。広島皆実高校から本格的にGKを始め、2年の時から正GKに定着。2・3年の時には2年連続で全国高校サッカー選手権大会ベスト8進出に貢献し、自身も2年連続で同大会の優秀選手に選ばれた。高校卒業後は流通経済大学に進学。同大学のサッカー部には当時日本代表候補GK林彰洋が正GKに君臨していたが、林の怪我により1年生ながら正GKに抜擢され、林が復帰後もその座を明け渡さなかった。また大学1年から全日本大学選抜に選ばれている。2009年に林がイングランド2部のプリマス・アーガイルFCに移籍したためポジションを完全に確保した。2010年のアジア大会では安藤駿介の控えGKとして同大会優勝を経験。大学4年の時には流経大のキャプテンを務め、またロンドン五輪最終予選のメンバーにも招集された。
大学卒業後はサンフレッチェ広島に入団。2012年6月のナビスコ杯・仙台戦で公式戦デビューを果たしたが、その後は西川周作、林卓人を前にポジションを確保することができず、2017年にはⅤ・ファーレン長崎に期限付き移籍。同年は守護神として全試合にフル出場しチームのJ1昇格に貢献したが、続く2018年シーズンは開幕スタメンこそ勝ち取ったものの、第5節からは新加入の徳重健太にポジションを譲り、第30節と31節に出場するまでは出番が無く、リーグ戦の出場は6試合に留まった。
2019年にはFC町田ゼルビアへ期限付き移籍で加入。 開幕からスタメンを確保し、リーグ戦38試合に出場。しかし、同年12月末には契約満了により広島に復帰すると発表された。4年ぶりに復帰した2020シーズンだったが、林卓人と大迫敬介の争う激しいポジション争いに割って入ることが出来ず、公式戦出場は0に終わり、2021年8月には2年ぶりにFC町田ゼルビアへ期限付き移籍で復帰。しかし福井光輝が1年通してレギュラーとして出場したためこの年の出場は無く、2022年にはロアッソ熊本へ完全移籍。しかし、ここでも2年間でリーグ戦2試合の出場にとどまり、2023年11月に現役を引退することが発表された。
2024年4月には広島市内にある瀬戸内高校の体育教員として着任したことを自身のInstagramにて発表した。
代表記録:なし
皆さん、こんばんは!
今日は残念ながら熊本は試合終了間際にPKを与えてしまって敗れてしまいました。
なかなか連勝が難しい状況・・・。ただ攻撃陣も次は得点を決めてほしいと思います!
さて今回は引退選手の紹介でかつて広島や長崎、町田、熊本でプレーした守護神の増田卓也氏です!
増田氏は高校時代は高校屈指のGKとして活躍し、流通経済大学では同い年で高校選手権優勝に貢献したGKや当時日本代表候補にも選ばれた林彰洋から正GKを奪うなど実力は高かったです!
ただプロでは長崎や町田などレンタル先では守護神として活躍しましたが、広島では林卓人や大迫敬介の存在もあってなかなか正GKに定着できず、最後は熊本で2年間プレーして現役を引退しました。
そして現役を引退した後は瀬戸内高校の体育教師になったとのこと!
ですのでゆくゆくは瀬戸内高校サッカー部の監督となって、再び高校選手権に出るかもしれませんね!
ぜひ増田氏にはプロ経験を活かして体育教師頑張ってほしいと思います!
頑張れ!増田!
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chat コメント 14件
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Mr.black
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鶴丸 深志’
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Mr.black
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鶴丸 深志’
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てっちゃん
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鶴丸 深志’
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K
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鶴丸 深志’
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篠山鳳明
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鶴丸 深志’
コメントをもっと見る0新潟の長岡向陵が初戦で星稜と戦い、その時の監督さんがエースに「お前は松井を敬遠する為に3年間練習してきたわけではない。だから勝負しなさい」と送り出したと記憶しています。
私ならば同じ考えでエースの背中を押すでしょうね。
ただ「勝つことを義務づけられている学校の監督」はそうもいかないのでしょう。
高校野球で何を重視し、何を切り捨てるか、ここで意見が割れるのですね。
立場によって意見が分かれるのだと思います。
当時の私は、馬淵監督の戦術は「あり」でした。今は、選手の意志を優先させたいです。
ちなみにこの5打席敬遠の試合は見ていません。
休みで出かけていました。帰ってニュースを観て驚いた次第です。
多分、夏休みだったのでしょうか、私はテレビで見てました。この時、馬淵監督は36歳でした。そう考えると凄い決断ですね。
その後、和智辯は、東海大浦安、柏陵には勝ってますね。
ちょっと調べたら、夏の和歌山と千葉の対戦は6回あって、和歌山は全て智辯和歌山でした。
春は1回で、市和歌山と習志野です。
こんばんは!
そういえばこの大会で優勝した西日本短大付属のエースの森尾氏が消えた天才に出ていました!
この大会で頑張った選手たちは今の仕事を頑張っていることを願います。
森尾投手は5試合で4完封と、見事な投球でした。印象に残る決勝戦でした。
智辯和歌山は確か暗黒の時代がありました。
1980年後半から1990年代だったかな?と思います。
高嶋元監督も甲子園最多勝監督とは言え苦労された時代がありました。
松井選手の敬遠については馬渕監督の作戦に賛成です。
あの時、馬淵監督は36歳でした。ちょっと老けて見えますね(汗)