ピックアップアクティブサッカープレイヤー No.1035

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    2025年03月29日 09:13 visibility89

藤本 一輝(ふじもと かずき)

国籍 日本

生年月日 1998/7/29

出身地 福岡県福岡市南区

身長/体重 179cm/71kg

ポジション FW(CF・ST)、MF(LMF・LWB)

利き足 右

代表デビュー なし

主な出場大会 なし

 

プレースタイル

武器であるドリブルからのシュートやセンス溢れる技術、相手を置き去りにするスピードを活かしてゴールを狙うアタッカー。またキック精度も高く、ウイングバックとしてもプレーできる。

 

経歴

5歳の時にサッカーを始める。中学時代にはサガン鳥栖U-15に所属し、3年の時には背番号10を背負い不動のレギュラーとしてチームを支えた。藤枝明誠高校では3年の時にセンターフォワードとして得点を量産し、同校7年ぶりとなる全国高校サッカー選手権大会出場に貢献。高校卒業後は鹿屋体育大学へ進学。1年次から出場機会を得ると、2年次の九州学生リーグ前半戦では得点王となる活躍を見せるが、同年の総理大臣杯で右膝半月板を損傷し、大会後に長期離脱。3年の時にはシャドーとしてゴールを量産しリーグ戦では得点ランク21得点を記録。大学4年の時には大分トリニータへの来季加入内定および特別指定選手承認が発表された。大分では同年リーグ戦5試合に出場した。

 

プロ1年目となる2021年は3月に行われたルヴァン杯GL神戸戦ではでプロ入り後初先発で初得点を記録。しかし、同年はリーグ戦10試合無得点に終わり、チームもJ2降格を喫した。2022年は序盤こそ出場機会は多くなかったが、4月末に行われたJ2第13節千葉戦ではリーグ戦初得点を記録。5月からは主に左サイドハーフや左ウイングバックとして起用され、同年はリーグ戦39試合に出場して6得点2アシストを記録した。

 

2024年にはFC町田ゼルビアへ完全移籍で加入。ここでは主に左サイドハーフとしてリーグ戦36試合に出場して3得点3アシストを記録すなど主力として活躍。同年12月にはアビスパ福岡に完全移籍で加入。開幕から主に左ウイングバックとして試合に出場している。

 

代表記録:なし

 

皆さん、おはようございます!

今日は選手紹介でアビスパ福岡へ完全移籍で加入した藤本一輝選手です!

 

藤本選手は元々はアタッカータイプの人間ですが、大分でプレーしてからはウイングバックとしてもプレーできるなどプレーの幅を広げています!

 

昨シーズンは町田でも主に左サイドでプレーして、チームの3位躍進に貢献しています!

それだけに今年から福岡に加入してくれることはとても頼もしいです!

 

その藤本選手は開幕からコンスタントに試合に出場しており、今日行われるホームの町田との試合で古巣への恩返しゴールを決めてチームを勝利に導けるか注目です!

 

頑張れ!藤本!頑張れ!福岡!

chat コメント 14

  • 新潟の長岡向陵が初戦で星稜と戦い、その時の監督さんがエースに「お前は松井を敬遠する為に3年間練習してきたわけではない。だから勝負しなさい」と送り出したと記憶しています。

    私ならば同じ考えでエースの背中を押すでしょうね。

    ただ「勝つことを義務づけられている学校の監督」はそうもいかないのでしょう。

    高校野球で何を重視し、何を切り捨てるか、ここで意見が割れるのですね。

    • 立場によって意見が分かれるのだと思います。
      当時の私は、馬淵監督の戦術は「あり」でした。今は、選手の意志を優先させたいです。

  • ちなみにこの5打席敬遠の試合は見ていません。
    休みで出かけていました。帰ってニュースを観て驚いた次第です。

    • 多分、夏休みだったのでしょうか、私はテレビで見てました。この時、馬淵監督は36歳でした。そう考えると凄い決断ですね。

  • その後、和智辯は、東海大浦安、柏陵には勝ってますね。

    • ちょっと調べたら、夏の和歌山と千葉の対戦は6回あって、和歌山は全て智辯和歌山でした。
      春は1回で、市和歌山と習志野です。

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    K

    こんばんは!
    そういえばこの大会で優勝した西日本短大付属のエースの森尾氏が消えた天才に出ていました!
    この大会で頑張った選手たちは今の仕事を頑張っていることを願います。

    • 森尾投手は5試合で4完封と、見事な投球でした。印象に残る決勝戦でした。

  • 智辯和歌山は確か暗黒の時代がありました。
    1980年後半から1990年代だったかな?と思います。

    高嶋元監督も甲子園最多勝監督とは言え苦労された時代がありました。

    松井選手の敬遠については馬渕監督の作戦に賛成です。

    • あの時、馬淵監督は36歳でした。ちょっと老けて見えますね(汗)