死。

ブログを書くときに何種類かある。
誰かに聞いてもらいたい用、何かを発信したい用、思い出用、記録用、後はただの自己満足。


今回のは間違いなく自己満足。




時々、自分はどんな死に方をするんだろうと考えたりする。


命が消える瞬間、何を考えて、何をするのか?



なんとなく生きてる今も実は余命で、こうしている間にも死に近づいてる。

産まれた瞬間から一日一日、命は消耗してる。

でもそれに気付けずに生きてる。

特別意識することもなく生きてる。




病死、事故死、老衰、自死…様々な死に方があるけど、突然死だけは辛い。



感謝の言葉を言えずにお別れするのは嫌だ。


それなら常日頃から感謝を言葉にすればいいけど、自分ではやっぱり死を理解できずに、なぜか膨大な余命があると思っているから、いつか言えるだろうと考えてしまう。



もし、あなたは余命何日です。
そう宣告されたなら、この方の様に想いを感謝を形にできる。


ある種、特別に与えられた死に方だと思う。

ただ、僕はこの方の様に病気と闘おうとできるだろうか?

無駄な事だと逃げるか、はたまた現実を受け入れられず自暴自棄になるかもしれない。

どうやったって死ぬのは怖い。

でも、余命がわかればわざわざもがくだろうか?意外と死を受け入れる体勢に気持ちがなるかもしれない。

どうなるだろう?

まだ先だと考えてる今はわからない。





僕がもし、近々パッと突然、死んだとき。


幸いこのブログが僕の思いとして残る。


今まで自分の考え方、感じたこと、家族のこと、なんとなく書いてきた。

これらが形として残る。




子供が大きくなってから見て、父が 自分達を愛していたこと、どういう生き方をしてほしいと思っていたかをわかってくれたら嬉しい。

僕を感じてくれたら、このブログが父親代わりになる。



そう考えると、なんとなく始めたブログだったけど、始めて良かったな。













































































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