
【被災地ボラ】6月1日、転機。
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Nana in 北九州
2011年08月12日 01:56 visibility80
6月1日。
6月半ばくらいまでには、夏の予定を決めてしまおう(予約しよう)と思ってて。
この時点では、この夏はまるごと、『バンコクを拠点に、周辺の都市や国への長期旅』を考えていました。
でも。
夏はせまるので、下調べは進めていたけど。
なんかね、どうしても心が「うん。」と言わなかった。
そこまで乗り気になれてなかった。
だから、決めきれない部分がありました。
行けば、'それなりに楽しめる'のはわかってるけど。
心に、曇り雲がある感じ。
現地の友達が「会いたい」と誘ってくれてたNYも。予算の面でも厳しい(夏は飛行機代が相当高い)し、今行きたい気持ちはそこまでない…。
予算的にも、やっぱりアジアだなぁと思ってました。
(何もしない、という選択肢はない!笑)
それがこの日。
ひらめいた!
その前夜にYahooニュースで読んだ、被災地の小学校給食の記事。
『宮城県のある地域の子供たちは、この数ヶ月間パンと牛乳だけの給食で、栄養失調になる可能性もある。』
『子供たちがおなかをすかせているので、家から食べ物を持たせたいという要望があるが、教育委員会が一切例外を認めない。』
そんな記事でした。
よその被災地域では、仕出しのあたたかいお弁当を食べている小学校もあるのに。
その記事の地域では、あの震災後にも関わらず、「教育委員会が例外を認めない」という理由だけで、子供達が十分に食べさせてもらえない。
この頭の固さというか、あまりにも馬鹿げた話。
それがかなり頭に残っていて、この日のシゴト中に「あっシゴト仲間に話そう」と思いました。
そのとき同時に。
『あっっ夏、被災地ボランティアに行こう!私、行けるやん!!』とひらめきました。
(※Yahooニュースにその記事が出た翌日、即改善され、温かいおかずをおいしそうに食べる子供たちの写真が載ってました。批判がすごかったのでしょうね。)
まだ調べてみないと、というのは分かっていたけど。
私にとっては、ものすごくパワーになるアイデアでした。
あとで気づいたけど。
どうしても心が「うん。」と言わなかったのは、引っかかっていたのは、ココだったんですね。
春の初タイ旅に行く前。私は考えました。
出発が震災の2週間後くらいだったから、「この飛行機代を寄付したら…」と。
でも調べてみたら、飛行機代5万円のうち4万円がキャンセル料だとわかって。タイ旅に行く事に決めました。
「あれから数ヶ月たったら、もういいのか?」
「夏は、ただ遊びにだけ大金を使う。」
たった数ヶ月しかたっていないのに、それでいいのか。
この日、心にあった曇り雲が、晴れていくのを感じました。
前に、ボラ募集を目にした覚えはあったし。
まだ実現するかは、分かんないけどね。
ボラは、できれば(職業柄)炊き出しの手伝いに行きたかったけど、思ってたよりも条件がかなり厳しい。
「交通費、食費、宿泊費は自己負担」は知っていたけど。
無理なのはコレでした。
『寝袋、作業着の一部(安全長靴、ヘッドライト、防塵マスク)、活動日数分の食料を持参できる方』
寝袋・・外で寝るってこと?
トイレもお風呂も無し?かもしれない。
'活動日数分の食料'って、どれだけよ?
さらに『体力に自信のある方 ※ボランティアの活動は1日約8時間行います。』
読んだだけで、プレッシャーで倒れそうです。
私、作業内容は多少きつくても大丈夫だけど、楽しくやれないと駄目なんです。
厳しいだけの雰囲気の中では、自分の力(イイトコロ)をぜんぜん発揮できない。
ここは条件を読んだだけで、ストレスいっぱい。どう見ても無理なので。
別関係で探ってみました。というか最初に目にしていたのは、こっち。
【犬くん。も一緒に。】を書いた時に、読んでいました。
被災地ど真ん中の活動ではないけど。
こんな活動も、必要だからある。私にできること。
最初は夏まるごとボラ、と考えたけど。初めての事で精神的にも負担になるから。
もしも自分に合わなくてもどうにか我慢できる、「1週間」に決めました。
その後は、あの国&周辺に旅に行くのもアリかな、と。
いずれにしても、このアイデアの方が、ずっといい。
私らしく進んでいれば、きっと楽しくやれる。
この夏、どうしてここまで"動く"事にこだわるのか、というと。
今年の夏は一度きりしかない、というのもあるけど。
「今しかできないコト」だから。
'災害'という意味ではなくて、自分の環境が。
いつどう変わるかわからない。
実際に、昨年は家の事情でぜんぜん動けなかった。
"自分の好きなように、自分の選択のみで行動できる"
そんな時期・そうできる環境は、永遠には続かないはずだから。
だから、私にとっての"今できること"なんです。
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被災地ボランティア。
もちろん少しでも役に立ちたい、というのもあるけど。
ボラが不足しているといっても、九州から仙台(東北)までは遠い。さすがに私じゃなくてもいい。きっと交通費を寄付した方が役に立つと思う。
それでも行きたいと思ったのは、
とにかく『自分の肌で感じたかった。』
被災地ど真ん中の活動ではないけれど。
自分の人生の経験として。何か感じるものがある気がした。
その経験が、今後の人生の"ためになる"気がしたんです。
それで「遠方ですが、夏はボランティアできる環境にあるので、手伝わせていただけたら」とdogwoodさんに問い合わせをしたら。
断られるかなぁと思ったんだけど。
すんなり受け入れていただけました。
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6月中旬の。
もう少しでボツになるとこでした。
いちおう交通費の予算は5万円以内、と決めました。
このとき福岡→仙台行きの飛行機は、臨時便が1日1便のみ(7月末には通常運航になりましたね)。なので高いです(あまり割引になりません)。
片道約25,000円。
行きはよかったんですが。
帰りの仙台→福岡便が、7月下旬のどの日を確認してみても、片道45,000円になってる。
帰れん。。。。
帰りがどうにかならない事には、行けません。
それで、調べて調べて。
「仙台から福岡まで、バスで帰る?」なんて選択肢まで考えましたよ(苦笑)
結局は、
「仙台→東京、夜行バス3,000円。
東京駅→羽田空港、山手線で移動。
羽田→福岡、飛行機14,000円。
スターフライヤー「羽田→福岡」便が7月初めに就航したばかりで、安くなってたので助かった。
これで、全部含めての交通費、ぎりぎり5万円以内におさまったはず。
6月20日。
『被災地ボラ。行くこと決定。
考え始めた時は知らなかったけど、今ではその街の場所(地図上)を知ってる。
今でも続く地震。壊滅的被害を受けた町からも近い。
行くからには。それなりの覚悟、してなきゃね。』
6/22
『福岡から仙台には、まだ臨時便が1日1便飛んでいるだけなので。手間取ったけど。
それでも。ひらめいてから、たった20日で行く手配完了までこぎつけた。実現する。
「よろしくお願いします。
楽しんで活動できればと思っています。」
活動場所のdogwoodさんに、そう伝えました。』
6/28
『夏の計画第1弾=被災地ボラ。
行く前、ずっと「ブログに書けるかどうかわからない」と言い続けてた理由は、
被災地の状況が…とかいう理由ではありませんでした。
(最近たいていの場は大丈夫ですが)
いちおう行ってみないと、私が馴染めるかどうかわからないから。
活動をするにあたって、私自身「楽しめるかどうか」はとても重要なので。』
そして今、こうやって書き始めたという事は、楽しんで活動できた、という事です(*^_^*)
今回、自分が経験したかったのと。
もう一つ、こうやって『伝える』事がとても重要だと思っています。
「とにかく伝えたい」その気持ちも強かったです。
だから、こうやってちゃんと書ける状況で活動終了できて、本当に良かった。
九州に住んでいると、なかなか情報も入ってこないし、'遠い場所の出来事'になってしまいがち。
でも、「身近な誰かが実際に見て来た事、聞いてきた事」それを伝えると、きっと違うよね。
だから、できるだけ多くの人に、伝えていくつもりです。
今回、「仙台に被災地ボラに行く」事、親と友達1人にだけ知らせて行きました。
仙台から帰って来た時。「その友達の影響だな」と改めて思いました。
自分たった一人では、気持ちはあっても、「実際に被災地まで行く」まではいたっていなかったはず。
その友達は、私よりもずっとずっと震災の事を考え、活動しようとしています。
震災後には、「震災の事」でケンカ…じゃないけど、激しく議論&衝突?もしました。
私達ってなんてマジメなんだろう、とか思いながらね(笑)
でも、いい影響よね。
これも、"今の環境"だから、できること。
わかってます。
結婚して子供がいたら、全然無理だと思う。
だから今、独身で自由になるお金と時間がある"私たち"が、できるコトやんなきゃね。って思う。
といっても、大きいことは難しいけどね。
動く事、寄付する事、伝えるコト。
これから私は、「伝えます。」
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