思い出に残ったシーン・選手・・・その5
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アストロズ
2007年02月07日 10:41 visibility432
こんにちは。ちょっと休んでいたらランキングもいつの間にか圏外へ。。。頑張ります。 今回は阿波野秀幸投手です。 このエピソードは有名ですがどうしても個人的に 話したかったので。。。 (と言ってもここは日記なのだから個人的以外何者でも ないですね(笑)) 阿波野投手。 87年のデビューでいきなり15勝(201奪三振!)をあげ新人王同じ年に同じ勝ち星をあげたにも拘わらず新人王を逃した 日本ハムの西崎。 永遠のライバル。 これだけで当時パリーグは熱かったですよね。 88年はあの有名な10.19決戦。 涙を流した後の翌年には19勝をあげリーグ優勝。 今後どれだけ活躍してしまうのかが楽しみでした。 ・・・当時の僕は草野球に参加し始めた頃で、一番体を 鍛えていた時期でもあります。 そして阿波野投手のあのフォームを参考にし自分のフォーム として取り入れてました。 ・・・難しいんです! 足腰鍛えないと無理なんです! あの右足を上げてから1回軸足の位置まで捻る (軸足を中心に右足を回す感じ) う〜ん文章にしても難しい〜(笑)。 とにかくあのフォームが出来る事が自分の好不調や鍛錬の バロメーターになっていました。 前述した動きによって相手(打者)との間(リズム)や 駆け引きが出来るのですがどこかが少しでも崩れると フォームが大きいため全てがバラバラになってしまう 感じなんです。 阿波野選手に戻します。 順風満帆に来ていたのですが90年、ボークへのルールが 若干改正されました。 ※詳細は忘れましたが新ストライクゾーンみたいなもんで その年の夏までは自然消滅。 確かに前述したフォームのままでランナー1塁の時に 投げるとボークになります。 だからあえて「ギリギリ」を試す事を僕はしてました。 阿波野選手もキャンプ、オープン戦を通じて改正に対応しようと色々試してきたと思います。 しかし、公式戦に入って一段と厳しくなった事や西武の 当時監督だった森さんに執拗に抗議された事がフォームを 大きく崩す結果となってしまいました。 最初にボークをとられた頃は世間も 「きびしー」「かわいそー」「でもまあそこだけ注意すれば」ぐらいで見ていたと思いますが、僕はとんでもない事になったとびびりました。 なんと言っても審判にやられたと思うのです。 だまし討ちでしょうか?ひどいもんです。 「これで今年は終わったな・・・」と思いましたが最後まで 引きずる事なるとはこの時点では僕自身も思ってませんでした慣例通り、翌年には緩和されたルール。一体何のために 行うのか? 結果として一人の投手生命を奪ってしまった。 (わざと?) なんか調子が取り戻せなかったというよりも審判への不信感が最後までぬぐえなかったンではないかと思います。 本当に惜しいです。どんだけの大投手になっていたかと おもうと。。。 あっそうそう足立区の大投手??? 私の事ですがルール改正の一年前に肩を壊してそのフォームを阿波野選手よりも先に崩す結果となりました。 今回もどうもありがとうございました。
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- 事務局に通報しました。
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